JYJのshouwcaseに現れた彼の金髪姿はいろいろ物議を醸している。あちこちのブロガーがどちらかと言えば頂けない主旨の発言をしているのを読んだ。
でも私は何も思わなかった。
いつも彼がどんな髪型になろうとどんな姿になろうと何も思わない。
「MINE」のMVで今までの彼のコンセプトと余りにも違う事に気持ちがついていけない、と言って一時期離れていたファンがいる。
彼女は、横浜アリーナの最終日に戻ってきた。
そんなに彼の外観に左右されるものなのだろうか。
日本にいるとき、彼は清純で中世的なキャラクターだった。日本で受けるナチュラルメイクにセンスのよい服を着て、その端麗な容姿の魅力を余すことなく発揮していた。
韓国に戻って4年。彼は29歳の男性になった。
コンサートの度にメイクをし、新しいコンセプトで現れる。
その姿は、日本にいた頃の中性的でナチュラルな彼のイメージからは程遠いものが多い。
その度にファンの間で物議を醸す。
でも私は一度も何も思ったことはない。
なぜなら、彼がどのような姿や形をしても彼の本質は変わらないと感じるからだ。
バラードを歌っていた頃、JPOPを歌っていた頃の彼と今、ソロでROCKを歌う彼に何の違いもない。
それは彼の歌を聴けばわかる。
彼が歌に対する姿勢、音楽に真摯に向きあう姿勢は、どんなジャンルの歌を歌ってもそこに現れている。
歌手ジェジュンの本質は昔から何も変わっていない。
いつも自分の歌に真摯に向き合おうとする心。
いつも努力を怠らない。
冷静に自分の歌を分析し、批判に素直に耳を傾ける。
どんなに状態が悪い時でもその中で最善を尽くそうとする。
そんな彼の本質は、何を歌っても何を着ても何色に髪の毛を染めようとも何も変わらない。
だから私は何も思わない。
彼が何色の髪の毛になろうとどのようなメイクをしようと何を歌おうとその本質には彼自身が変わらずいるから。
金髪にする時、彼にはいつも何かがある。
その心の中に鬱積したものがある時と「WWW」の時のように前を向いている時とがある。
でもどちらにも言えることは、今までの自分のあり方を変える時。今までの自分の考えを捨てる時だ。
考えや今までの自分を一度リセットしたいとき、彼は金髪にしてきたように思う。
出生の秘密を知ったとき、サセン問題が発覚したとき、「WWW」を発売したとき、彼は今までの自分をリセットし、新しい気持ちで出発してきたように思う。
今、JYJのコンサートを前に金髪にしたのは、何だったのか。
今までの彼のJYJに対する気持ちと今回のあちこちのインタビューに答える彼の気持ちとでは大きく印象が異なることがある。
それは決してJYJに対する無防備とも言うべき愛情を語らなくなった事だ。
今までの彼はどんなことがあってもJYJというグループにもメンバーにも無防備とも言えるほど、愛情を垂れ流した。それは彼の気持ちを思うとやるせない思いにとらわれるほどの愛情表現で他のメンバーとの温度差を嫌というほど感じるものだった。
しかし今回、JYJの活動に関して、新しいアルバムに対して一番温度差があったのは彼だった。
事務所を批判するファンに批判的なコメントを出した二人のメンバーに対して、彼は慎重にことばを選んだ。それは自分だけを応援してくれるファンの気持ちに応えるかのように「こういうことはファンの気持ちだから慎重に受け止めなければならない」と言った。
彼だけが明らかに事務所のあり方を批判するファンの気持ちを受け止めるコメントだった。
彼はどんな時でもファンの側に立つ。
二人のメンバーとの考え方の違いをまざまざと感じた瞬間だった。
そしてJYJのアルバムに対しても以前のように気持ちをこめて売り込まなかった。
「このアルバムで何かを成し遂げるということは特にない。もし目標があるなら公演で怪我をしないで上手にやること」そう発言した彼に今までと同じ気持ちは感じられなかった。
彼の中でJYJというグループに対する気持ちの何かが変わったのではないかと思うほど、テンションの低いコメントだった。
このコメントの中に彼の本質を感じる部分はなかった。
あれほどに固執したJYJ活動に活路を見いだせない間に彼はソロ活動をし、自分の本質を変えることなく物事に真摯に向き合い、多くの事を経験し成果を残した。
そのことが彼の今の成長に繋がっているのは紛れもない事実であって、JYJの活動が彼を成長させたのではないと断言出来る。
彼にとってJYJとは一体何なのか。
そのあり方をこれから私達は感じるのかもしれない。
私は彼がJYJ活動をする事を否定するものではない。
ただ今のJYJ活動やJYJというグループの存在が彼の本質にどのように関わってきたのか、関わっていくのかを考えたとき、少なくともこの4年間は、彼の本質に何の影響も与えなかったのだと思うだけだ。
これから入隊までの時間、おそらく彼はJYJ活動を中心にするのだろう。
しかし彼の歌手としての本質が満足出来なければ、彼は歌手としての本質が満足出来る活動に舵を切るかもしれない。
全ては彼が決めることだ。
彼がどんな行動に出ようと彼の本質だけは見失わないでいたいと思う。