大邱での歌唱を聴いた。
彼の声は、少し伸びやかさを欠いているように聴こえた。
寒さもあったかもしれない。
反応の悪い声帯を力で無理やり動かしているように感じた。
一見、ロッカージェジュンとして力強い歌唱に聴こえる歌は、本来の彼の持ち味である柔軟さを欠いていた。
歌手としての2ヶ月近いブランクは、やはり声に影響を与える。
彼は、紛れもなく歌手なのだ。
彼のドラマ出演が決まったと聞いた時、私は正直、ガッカリした。
ああ、これでまた、声が出なくなる。
そう感じた。
彼の役柄が、当初別の俳優のもので、急遽彼に変更されたこととイ・ボムス氏の専属契約の発表が無関係だと思う人間は、一人もいないだろう。
ギリギリまで決まらなかったのは、彼が受けなかったからなのか… ドラマの記事は、当初検討中という形で露出した。
彼が決めていない状況で見切り発表することによって、お得意の無言の圧力を彼にかけたのだろうか。
それとも、地上波での露出は、入隊前に人々に印象づける意味で必要だとでも説得したのだろうか。
大邱でドラマの出演が決まった彼の口から、その事について一言も語られることはなかった。
「最近、歌っていなかったので歌えて幸せ」
「たくさん練習してきました」
「コンサートツアー終わって久しぶりに歌っています」
「皆さんに聴いてもらって本当に嬉しく幸せです」
彼は、終演後、呟いた。
「大邱(テグ)公演たくさん来てくれてうれしかったです。楽しい夜作っていただきありがとうございます^ ^」
大邱での出演が決まった時、「何故、あんな場所で歌う仕事を引き受けたのか」
「あんなペンペン草の生えているような場所でどうして歌うのか」そういう疑問をたくさん見かけた。「ソロツアーの大邱公演が流れて、その代わりに引き受けた」そう言う人もいた。
でも私には、彼がどんな小さな場所でも「歌いたい」と思っているように感じた。
歌の仕事があれば、たとえ辺鄙な地方都市でも、場末のバーであっても彼は歌うのではないか…そう感じた。
それほど、彼は歌う場所に飢えている。
そう思えてならなかった。
今回の仕事に事務所はおそらくほとんど絡んでいないだろう。
もし絡んでいたなら、あの事務所のことだから、事務所のロゴ入り本人画像を大々的に出して来るはずに違いない。
最後まで画像すらなかった。
「歌う」と決めたのは、彼自身の選択だ。
どんな場所ででも、どんな些細な仕事でも歌手としての仕事なら、彼は引き受けたいと思っているように私は感じた。
「小さなパブで一から出直したい」と日本で語ったように。
ロッカーとして、小さな場所から新人歌手のように始めたいと語った彼のことばが蘇る。
ドラマがギリギリまで決まらなかったのは、彼がギリギリまで歌手で活動できる可能性を探っていたからではなかったのか。
ドラマの撮影が始まれば、どういう状態が待っているかは、彼自身が一番知っている。
そして、歌手として存在出来なくなることも。
歌手として3年ぶりに復活した彼にとって、俳優業に入ることは、大きなブランクに繋がる。
ドラマの撮影が終われば、残された時間は僅かしかない。事務所は、何を交換条件に彼に歌を諦めさせたのだろう。
今の事務所は、設立当初から、彼に強力に俳優への転向を勧めている。
事務所にソロ歌手は二人いらないのだ。
俳優に転向させても突出は困る。なぜなら、彼は、単にビジュアルが売り物のタレントでいいから。日本の外貨を稼ぐためには、それぐらいがちょうどいい。
主役、主役と言いながら、いつも彼に与える役は、複数主役のうちの一人でしかない。
彼を決して突出させない。
ましてや、今度は、事務所に入ったばかりの大物俳優との共演だ。
どこに事務所の比重がかかるかは、目に見えている。それでも彼は引き受けた。いや、引き受けさせられた。
それは、100%、彼の意志だったのだろうか。
「俳優としての彼も好き」
「彼のドラマが楽しみ」そういうファンは多いだろう。器用な彼は俳優業でも才能を見せる。どんな役柄でも独特の光を放つ。
そして、真面目な彼のことだから、一旦、引き受けた仕事は、100%以上の力を出すだろう。
毎週、彼の姿を観れるのは、ファンとしてこの上ない喜びなのかもしれない。
それでも私は、やっぱり残念だった。
アンコール曲を入れてもたった4曲しか歌えない大邱のコンサートで、彼が最後に選んだものは、「化粧」だった。
ロッカージェジュンには全く関係ないこの曲。
友人グンソクのファンミで歌ったのもこの曲だった。
アルバムを発売して以来、彼は、躊躇なくどんな場所でもこの曲を堂々と歌う。まるで彼の持ち歌のように。
彼がどんなに「化粧」を大切にしているかがわかる。
堂々とJPOPを歌うために歌詞をわざわざ翻訳し、アルバムに入れた。
歌詞を翻訳するのも、アルバムに入れるのも彼の意志だ。
JPOPを自分の中から消さない。
JPOPを歌い続けるという歌手ジェジュンの意志を感じる。
日韓の関係を彼が知らないはずはない。
反日ムードの中で、彼は、ギリギリの選択をしていく。
日本への気持ちと自国での立場。
日本語の発言も控え、日本語で呟くこともなくなった。
それでも彼の中から、日本が消えることはない。日本への思いが消えることは決してない。
「化粧」は、韓国語で歌いながら、強烈な日本ファンへのメッセージだ。この曲を歌う度に彼は、日本を思い出す。
日本で歌ったコンサートの日々。
彼の中に日本ファンとの思い出が刻み込まれている。
その思い出は、自力で開いた横浜アリーナから最後の名古屋まで繋がる。
「今日、ここで日本語で話せてよかった。日本語で話せなかったら…」
「何日でも何月でも何年でも待ってて」
「いつまでも待ってて」
号泣した彼の姿とことばを私達が忘れないのと同じように、決して彼の中からも消え去ることはない。
写真集の半分は、日本でのショットだった。
スタジオ撮影以外、すべてのショットは日本でのものだ。
その写真を選んだのも彼自身。
わざわざカメラマンを同行させてまで日本での自分を残したかった。
あの写真集は、紛れもない彼からの日本へのメッセージだ。
彼は、日本ですべての差別から解放された。
ジェジュンをジェジュンとして見てくれた初めての経験。
出自も学歴も関係ない。
ありのままの自分という人間を丸ごと受け止め、まるごと認めてくれた。
自分をありのままに出しても何も非難されない自由な国。
努力すれば、何にも捉われることなく正しく評価してくれる国。
真面目に取り組めば、認めてくれる国。
初めて手に入れた解放感。
その解放された心が、歌手ジェジュンの表現力を解放した。
歌手としての才能を開花させたのは、日本だ。
そんな日本を彼の中から消し去ることは出来ない。
どんなに事務所が、彼の中から日本という場所を奪い、歌手という場所を奪い去ろうとしても彼の中から、日本も歌手としての存在も消え去ることはない。
私は、歌手ジェジュンを待ち続ける。
彼は、必ず日本で復活する。
彼の中から、日本への思いを消し去ることは、彼自身を否定することに繋がる。
日本は、歌手ジェジュンの一部なのだから。