前記事にたくさんのコメントやメッセージ、イイね!マークをありがとうございました。コメント返しも出来ないのに、コメントが欲しいと思う我儘なブロガーです(笑)
コメントを頂くと、ああ、読んでくださってるんだと思い、頑張って次の記事を書き続けようと思う私です。6年も書き続けてこれたのは、読んでくださる方がいるからです。
心から感謝しています。

1年前の今日、彼は入隊したんですね。(書きあげるのに時間がかかり、今はもう次の日になってしまいましたが…)
もう1年が経ちました。
もう1年なのか、まだ1年なのか…
1年が早かったのか遅かったのか…それは人によって違うでしょう。
でも私には、彼のいなくなったあの日から、ただ時間が繋がっているという感覚しか持たないのです。
あの時…
日本活動を打ち切られたあの時から、ずっと心を占めている一つの思いがあります。
その思いが叶えられるまでは、何度彼が日本に来ても私の思いが消えることはありません。
この1年も単にその続きだっただけの1年で、特別な1年のようには思えないのです。

今日は、彼が日本を去ってから、ずっと私の心を占めている思いを書こうと思います。
きっとこの記事を書けば、多くの批判を受けるでしょう。
ここに書くこと。
これはあくまでも私個人の気持ちであって、日本ファンが皆、こんな気持ちではないことだけは先に述べておきます。
きっともっと冷静で立派なバランスの取れた友好的なファンはたくさんいらっしゃると思うからです。
それでもあえて、ここに書いてみようと思ったのは、最近、ある記事を読んだからです。
そしてそこに書かれている内容に違和感を持ったからでした。

最初に書いておきたいことは、これは特定のサイトや個人を批判するものではありません。
ただ、日本ファンの一人として自分の正直な気持ちを書いて残しておきたいと思うだけのことです。
また、この記事によって特定のファンサイトがかつてのように私を牽制する記事をあげることもあるかもしれません。
ただ、私はある記事を読んで自分の気持ちを書きたくなった。自分の読者に読んで欲しいと思った。ただそれだけです。
こんな一介の何の力も持たない個人ブロガーの書くことなどたわいもないことで、何の影響も誰に影響を与えるものでもありません。ただ、私は自分の体験と気持ちを彼が兵役1年を迎える今日という日に書きたくなっただけの事です。

いつものように批判に関しては一切対応しません。また私に批判的な人は記事の閲覧もRTも禁止します。

 

この記事をあげれば、また、私は批判されるだろう。
それは例えば、韓国ファンから。
例えば韓国ファンカフェと懇意にする日本ファンから。
そして韓国ファンと個人的に懇意にする日本ファンから。
そして、又、特定のファンカフェから批難されるのかもしれない。
けれどもあえてここに書こうと思うのは、日本ファンへの記事を読んだからだ。
そこには、正常な日本活動を望まない韓国ファンはいないと明言されていた。
その文章を読んだとき、私は計り知れないほどの違和感を持った。
なぜなら、私の知る韓国ファンで、彼の日本活動を心から望んでくれた人は、たった2人しか知らないからだ。
多くの韓国ファンやいくつものファンサイトの管理人、スタッフとかつて交流していた。しかし、その交流において、彼の日本活動を望んでいると感じたことは一度もなかった。
決して日本ファンの気持ちは彼女達にはわからない、と感じたことは何度もあった。
それが変わったというのだろうか。

最初に書いておくことは、これはあくまでも私個人の考えであって、韓国ファンを非難するものでもなければ、ファンカフェを批判するものでもない。
あえて批判されるような記事を書く必要もなければ、あえて論戦を交えたいと思うものでもない。
ここに書くことは、ファンになった最初からオンリーだった日本ファンが、未だに捨てられない思いを書くだけのことだ。

私は、6年前にジェジュンファンになった。
なぜ、彼のファンになったかと言えば、彼の歌声に強烈に惹かれたからだ。
今まで音楽の仕事をし、曲がりなりにも音楽を提供する側、歌を提供する側の人間として、多くの音楽に触れてきた。
音楽は私の日常の一部であって、それは人生のたった4年が過ぎた頃から、何十年も私の側にあり、ひと時も離れたことのない存在でもあった。
ある時は、私の全てであり、ある時は人生の師でもあった。
ある時は私のエネルギーの源でもあり、ある時は向上心の矛先でもあった。
けれども私にとって音楽は、一度も自分を癒してくれる存在ではなかった。

いつもレッスンに追いかけ回され、レッスンを一日休めば罪悪感に囚われた。
人が楽しく映画や演劇を鑑賞したり、TVドラマに勤しんでいる時でも、一人レッスン室に閉じこもり、歌と自分に向き合った。
いつも私は孤独で、音楽だけが傍らにあった。
真摯に音楽と向き合い、追求すればするほど孤独になった。

そんな私が、初めて彼の歌によって心が癒された。
「音楽で心が癒される」という多くの人が話していた体験を初めてしたのだった。
彼の歌声を求め続けた。
涙が出た。
彼の歌声が自分の孤独を癒してくれた。
家族がいても変わらない。
音楽と向き合う時の孤独は独身の時と変わらなかった。いや、それ以上に音楽で仕事することの責任を痛感する年代になっていた。
彼の歌声は、私の孤独感を癒やした。
私は貪るように彼の歌声を求めた。

当時、グループ活動の最後の頃で、相変わらず彼が最初から最後まで歌う曲はなかった。
いつも「もう少し聴きたい」「ああ、いい声だ」と思った瞬間に別の人間の歌声に変わるというジレンマを抱えながら、CDを聴いていた。
だから過去の音源の中に彼だけのものがあると知ったときは、本当に嬉しかった。

あの頃、ずっと思っていた。どうして、彼はソロじゃないんだろうと。

彼のソロ歌手としての活動を最初から願っていた。

日本活動が突然打ち切られ、途方に暮れた。
そうだ、途方に暮れたのだ。
そしてブログを書き始めた。
その理由は、彼に会いたかったからだ。
日本から去ってしまった彼は、日本のどこに行っても会えなかった。

私の本格的なファン生活は、彼のドラマ出演に関するあちこちの番宣番組が始まりだった。
毎週、ドラマの中の彼に会えた。
THANKSで人生初のコンサートに出かけ、初めて彼の歌を生で聴き、彼という人となりを感じた。
さあ、これからファン生活が始まると思った矢先だった。
大阪のa-nationでの彼の表情に不安感を覚え、結局最後となった味スタの最終日にも出かけた。そして、半月後の日本活動打ち切り。
あれだけ日常的に会えた彼に日本のどこを探しても会えなかった。

彼は、この日本から、突然、忽然と姿を消したのだ。

この喪失感。

淋しさと書けば余りにも違う。

この喪失感は、韓国ファンには決して理解出来ないだろう。
そして、未来永劫、味わうことはない。
それは、彼が韓国人だからだ。
どんなに遠くの国へ行っても、どんなに遠くの国で活躍しても、彼は必ず韓国へ戻る。
彼がどんなに離れていても必ず最後は自分達の元に帰るという圧倒的な立場にいる韓国ファンには、決してこの気持ちはわからない。
それは母国という名の圧倒的な優位さを持つ事実からだ。

こんな事を書けば、当たり前じゃないか、彼は韓国人なのだ。韓国に帰るのは当たり前。韓国歌手を好きになったんだから、そんな気持ちになる方がおかしいと言われるのがオチだろう。
それでも、私はこの気持ちを捨てる事も出来なければ、納得させる事も出来ないでいる。

彼が日本活動が打ち切られ、初めて出したOSTは、「やっとジェジュンが韓国に戻った」とまで言われた。
当時、あちこちの韓国の翻訳されたブログ記事を読んだ。

「ああ、やっとジェジュンが私達の元に帰ってきたと思った」

この文章を読んだときの衝撃は忘れない。

彼がもう二度と日本には戻らないのではないか、戻してもらえないのではないかと思った。
それから、私はあちこちのブログを読むようになった。
韓国のブログ。
そして、自分でも書き始めた。

何人もの韓国ファンと知り合った。それは、サイトの管理人からスタッフ、普通のファンまで何人かと交流をすることになった。
けれども決して私は、彼女達に「ジェジュンに日本に戻って欲しい」とは言えなかった。

彼女達は一応に皆、彼が韓国に戻ってきたことを喜んでいた。
そして、彼が日本で酷いバッシングにあい、傷ついて帰ってきたとも言った。それは、5人から3人に分裂したときの彼へのバッシングのことだと理解した。

そんな彼女達に、私は、彼が日本からいなくなって寂しい、とも言えなければ、彼に再び日本に戻ってきて欲しいとも決して言えなかった。

彼女達は、彼が韓国で活躍し、成功することを望んでいた。
これで、彼が腰を落ち着けて、韓国での活動に専念出来ることを喜んでいた。
彼の日本語の歌について何の未練もなかったし、失った日本活動にも言及しなかった。

そんな彼女達と交流しながら、私はずっと悶々とした思いで過ごした。
彼に日本に戻ってきて欲しかったからだ。

韓国での彼を見たことがなかった私は、showcaseで衝撃を受けた。
そこには私の知らない彼がいた。
心から笑っているようには到底見えなかった。まるで綺麗な蝋人形を見ているような感覚だった。
そんな私に彼女達は、「どうしてそんなにショックを受けるのか?彼はいつもの彼だ」と言った。
そして言った。
「彼は素晴らしい。カッコイイ」と。泣きマークまで付いていた。

私は何も言えなかった。
彼は韓国へ戻ったのだ。
これが彼の本当の姿だ、と言われれば、反論出来なかった。

それからJYJは日本ではなく世界を目指すようにアメリカでツアーを予定し、worldツアーを計画した。
どんどん彼が遠くになるような気がした。
彼は日本を忘れたいと思っているのかもしれない、とも思った。
もう二度と日本で活動したいとは思っていないのかもしれない、とも思った。

それでも私は、彼の日本活動を諦めることは出来なかった。
このまま彼が日本にこなければ、彼の中で日本の思い出は、悲しい思い出で終わる。
傷つけられ、活動を打ち切られた思い出でしかない。
彼が長い人生の中で日本という国を思い出す時、悲しい思い出に彩られた記憶しかないのは嫌だ、と思った。

彼にはどうしても、もう一度日本に帰ってきて活躍し、楽しい思い出の記憶に塗り替えて欲しい。そう思った。

でも決して、このような気持ちを彼女達に話すことは出来なかった。

やっと自分達の元に帰ってきた、と喜んでいる彼女達に遠慮した。

韓国での彼の様子を聴くたびに彼女達には「良かったですね」と言い続けた。
何よりも彼自身が、日本を嫌いになったのではないか、日本をもう思い出したくないと思っているのではないかと思うと悲しくてたまらなかった。

私はすっかり諦めていた。
JYJとして歌う彼は、私の知ってる彼ではなかった。
そこには、ジェジュンではなく、キム・ジェジュンがいた。

もう私の知ってるジェジュンには会えない。
何度もそう思いながらも、どこかで彼を求めていた。

そんな時、彼は、自分のPCを使ってローマ字でたどたどしく日本語のツイを行なった。
日本活動が打ち切られて二ヶ月、11月11日のNYでの出来事だった。

「そーーーーーだ!ヶータイでは日本語かけないけどパソコンでは出来る^^ 忘れないように頑張るぞーっっっっっ! てか 俺風で鼻がくるしいいい」
「時差ボケでアタマもいたいし。。 ジジにも会いたい。。」

それから怒涛のような彼の日本語ツイが始まる。
彼は自分の中にある日本語を確かめるように、次々、ツイを連発した。

その時、私は彼が日本を忘れていないことを確信した。

彼の中で、日本の思い出は、悲しい思い出ではないのだと思った。
そして、彼は日本を、
日本ファンを懐かしがっている、
会いたがっているのだと思った。

良かった、と思った。

彼の中で少なくとも日本の思い出は悲しみに彩られたものではなかったのだと思えただけでも嬉しかった。
そうやって私はファンとしての絶望感から抜け出した。

それでもその頃の風潮として、大々的に日本に戻ってきて欲しい、日本活動して欲しいとはとても口に出せなかった。

「韓国で彼が成功することが大事。韓国で成功してから、彼は日本でも活動すればいい。そうでなければ、彼はまた、韓国ではダメだ、と言われる。日本に帰るのは、韓国である程度のポジションを築いてからだ」

私にそう言った韓国ファンもいる。

その時、私は、韓国ファンには日本ファンである私の気持ちは決して理解出来ないのだ、ということを感じた。

その頃は、彼の日本に対する感覚が韓国人の一般的な感覚だと思っていたし、彼が住む韓国という国の何も知らなかった。
ましてや韓国の芸能界のことは。

ただただ、私は彼に申し訳ない気持ちだけだった。
日本の事務所が彼に行なった仕打ちに申し訳ないと思い、彼が日本で傷ついたということに申し訳ないと思った。
それなのに、彼は変わらず日本に好意を寄せてくれることに、さらに申し訳ない気持ちしか持たなかった。
だから、到底彼女達に言えなかった。「彼に日本へ戻ってきて欲しい」とは。

私は何も知らなくてブログの世界に入った。
ファンになって、それほど熱心にブログを読み漁っていたわけでもなく、いくつかの有名なブログを読んでは、時々コメントを書く、ごく普通のファンに過ぎなかった。

だからブログをする、ということも、自分の考えを書くということも何もわからずにブログを始めた。

たまたま懇意にしていた韓国ファンから幾つもの彼の情報を貰っては、それを記事にしていた。
私自身は、何の情報も持たない普通のファンだったからだ。
余りに未熟な記事を挙げては、韓国サイトから、何度も指摘されたこともあった。

あの頃…

あの頃は、自分の記事にクレームをつけられる度に、「教えてもらえて有難い」と素直に思っていた。
書いては取り下げたり、シークレットにしたり…

当時、懇意にしていたあるファンサイトから多くの情報も貰った代わりに、いつも監視されているような気分になったのも確かなことだった。

そうやってある一つの事件が起こった。「ボスを守れ」のドラマの時のことだった。
当時からアメンバーだった人は記憶しているだろう。でもここでそれを書く事は控える。この記事は何も過去に何が起きたかを暴露する目的ではないからだ。

ただ、その頃、私は多くのアメンバーを持ち、オンリーと言えばkukoさん、と言われるようなブロガーになっていたことだけは確かだった。

ある出来事から、決して韓国ファンには、私の気持ちは理解出来ないと感じた。

それは、それまでの私の信頼を覆すような彼女の保身に回る態度だった。
彼女は、ただ、自分の立場だけを私に強調してきた。
そこに私の立場を思いやる気持ちは微塵もなかった。

それまで彼女を信頼して従順だった私は、初めて彼女に反論した。
けれどもどんなに話しても彼女は一方的に要求を突きつけるだけだった。
韓国人の特性を知る今なら、もっと冷静に対処出来たかもしれない。
でもその頃の私は、韓国人をとても好意的に感じていた。
だから彼女の豹変ぶりに戸惑うだけだった。
彼女は私の話には全く耳を貸さず、ただ自分の立場の話だけをした。
それは、何度も何度も…

私が彼女の要求を呑むまで、延々とツイが送られてきた。

それで私は嫌になった。

もう彼女から離れようと思った。
韓国ファンに私の気持ちは決してわからない。そう思った。
それが韓国ファンとの交流を一切辞めたきっかけだった。

ブログをしているといろいろな人からアクセスを貰う。

それが大きなファンサイトの管理人だったり、有名なブロガーだったりしたら、自分のブログが認められたような気持ちになる。

それまで韓国から情報を貰っていた私は、韓国の情報を断ってブログを続けていくことが出来るのだろうかと正直思った。

何の情報も持たない私は、他のブロガーのようにあちこちに検索をかけて、情報を取ることも出来なかった。

ただ、彼の歌についての記事を書き、彼がどんなに素晴らしい歌手なのかということを一人でも多くの人に知って欲しいと思うだけだった。

そして思った。

彼は日本を好きでいてくれる。
それなら、日本ファンとしての自分の気持ちを書き続けようと。

遠く離れている日本ファンの気持ちを書く事は、私だけでなく、一人ぐらいは同じ気持ちの人がいるかもしれない。

日本ファンとしての切なさ、日本ファンとしての諦め、絶望感。
そんな気持ちは、どんなに活躍しなくても自国に彼がいる韓国ファンにはわからない。

そう思った。

彼はそれから日本語で時々つぶやいてくれるようになった。

その呟きだけが心の拠り所だった。
彼が日本語を話すときだけが、彼との繋がりを感じることが出来た。

それでも彼が日本を去って、両国とひたちなか以降、次の年にはまるで日本から遠ざかってしまった。
韓国で次々ドラマに出演し、映画に出演して活躍する彼を観ながら、彼が遠い存在になったような気がしていた。

サセンや一連の事柄から、彼の事務所での立場を思い、彼に日本活動を求めることは酷なことだと思うようになった。
彼が日本活動を求めているかどうかすらわからなかった。

彼に日本に戻ることを求めることは、彼の負担になるのではないかとさえ思うようになった。

そうやって一年が経ち、彼は2013年に日本に戻ってきた。
JYJに始まり、プライベートな旅行、そして横アリのファンミ、横スタのソロコン。

その頃には、彼の置かれている立場も、韓国という国も、韓国人の特性も、韓国芸能界のことも多くを知るようになり、ただ、彼が無事にいてくれたらいいとさえ思うようになっていた。

横スタでは、彼はWアンコールにも現れず、「いつか日本に来れなくなる日が来るかもしれない」とまで言った。
多くの日本ファンは落ち込み、余りの辛さに彼から離れる人も出た。

それからひと月後、大阪のソロコンまでの間に何があったか知らない。
でも彼は変わっていた。
彼は、何度も日本への思いを話した。
そして決して今まで言わなかった言葉を言った。

「いつまでも待っていて」と。

この言葉を聴きたい為にこの4年間があったのだ。

彼のこのひと言を聞いた時、私はやっと彼に日本活動を願ってもいいのだ、と心から思った。
彼に日本活動を願いながら、それは私の日本ファンとしてのエゴなのではないかとずっと思っていた。

韓国ファンが言うように、彼は韓国人なのだから、韓国で活躍するのが当たり前。

彼が韓国で活躍し、時々日本に戻るのが当たり前であって、日本活動を望むのは間違っているのではないのかとずっと思っていた。

彼が日本活動を願っているのかどうかさえわからない。
そんな彼に日本活動を願うのは、彼の負担になるのではないかとずっと思っていた。

そんな気持ちを彼の一言が救ってくれた。

彼に日本活動を願ってもいいのだ、彼に日本に帰ってきて、と言ってもいいのだ、と思った。

韓国コンサートで何度も経験したことがある。
それは日本ファンを決していいように言わない韓国ファンの言葉だった。韓国語が出来る友人から何度も聞かされた。

ツアーのバスガイドから、「今日はジェジュンさんは日本語を話しません。韓国ファンが嫉妬するからです」と言われたこともある。

それぐらい日本ファンへの気持ちを彼が話すことは、韓国ファンの気持ちを刺激することなのだと思った。

記事には、彼の正常な日本活動を望んでいる、と書かれていた。
正常な日本活動というのは、彼が正式に日本事務所と契約し、かつてのように日本で活動することを意味する。
それも今のような状況では、誰もが彼のソロでの専属契約を望むだろう。彼が日本事務所と専属を結ぶということは、一定の間、韓国での活動ができなくなる恐れもある。

元KARAのジヨンが専属契約を結び、日本で活躍している。けれどもそれと引き換えに彼女は、自国での活動を諦めたはずだ。
彼女が契約したとき、多くのバッシングが彼女にあったと聞く。
それでも彼女は日本を選んだ。

それ以上に彼がもし日本事務所と専属契約を結べば、多くの影響を与えるだろう。

Cjesを出ることになるかもしれない。
韓国ファンも望むCjesを出ることは、彼が韓国では活動出来ないことになることを示唆する。

Cjesを出た彼と契約を結ぶ事務所はないと思うからだ。
そして、仮に彼が多くのファンが望むように独立すれば、徹底的にCjesは彼の韓国での活動を妨害するだろう。
彼は今持っている権利を全て置いてでなければならないだろう。

そんな状況になることを本当に韓国ファンが望んでいるのだろうか…

嫌韓風潮の中、韓国に批判的なツイをあげる日本ファンにある韓国のサイトからDMが送られきたと聞いた。
「日本事務所と彼の契約が成立するかもしれないから、批判ツイをしない方がいい」と。
それを聴いて私はかつての思いが甦った。

大きなサイトから突然、メッセージされたら、それだけでも脅威に感じるファンもいる。私がかつて感じたのは、同じファンなのに何だか統率されてような気分だった。

いつも韓国ファンに対して、引け目を感じながら応援している気持ちがある。
韓国人の彼が、日本への思いを吐露してくれるから、私は安心して彼を応援出来る。でも彼が話してくれなかったら、いつまでもかつてのように、本当に彼の日本活動を願っていいのだろうかと思っていただろう。

私は日本ファンだ。
だから彼が日本でずっと活動して欲しいと願う。
でもこれが逆の立場だったら、本当にそう思うかどうかわからない。
どんなに彼が日本活動を望んでいても、やはり自分の国にいて欲しいと思うだろう。

今まで私が知っている韓国ファンで彼の日本活動を心から願ってくれた人はたった二人だけだった。
一人は、あるサイトのスタッフだった。もう一人は、最近交流し始めた人だ。
二人とも、彼の日本語の歌が好きだから。彼の日本語の歌を聴きたい、と言ってくれた。
韓国で彼がいるときより、彼は日本にいるときの方が幸せそうに見える。だから彼に日本で活動して成功して欲しい、と二人とも私に話してくれた。

記事を読みながら、そこに明言されている文章に私は違和を感じたのは確かだった。
あちこちでその記事の賛同記事を読んだ。
でも私にはそれをそのまま信じることは出来なかった。
それがこの記事を書いた理由だ。

韓国ファンの気持ちは変わったのかもしれない。でもそれは私にはわからない。
韓国ファンへの引け目を感じなくなるのは、彼が日本活動を取り戻した時なのかもしれない。

彼は日本活動を望んでいくれている。

その気持ちは、彼の気持ち一つであって、何の保障もない。

彼が日本への気持ちを失えば、彼と私達との糸は切れてしまう。

韓国人の彼が日本への気持ちを持ち続けてくれることだけが、彼の日本活動への希望の証でもある。

そんな彼を日本ファンの一人として、心から支えたい。
彼が帰ってくる場所を守って、何年でも待ち続ける。

それが彼の日本への思いに報いるたった一つの方法だと思うから。