この記事を書くかどうか、私の中で逡巡があったことは確かだ。記事を書けば、また、批判する人間が出てくるのだろうと思うから。
ブロガーとして自分の意見を書くということは、時に軋轢を生むことがある。
とくに私は、誰もオンリーファンなどという言葉すら知らなかった頃から、オンリーだと言って、ジェジュンだけのブログを書いてきた。その頃は、ジェジュン自身だって、ソロ歌手になるということを考えたこともなかったかもしれない。それでも、私は、最初から、彼は、ソロ歌手になるしかないと思ってきた。彼の音楽性や、歌手としての才能は、8年前に既にグループの枠に収まりきらなかったからだ。自由な音楽、自由な歌を求める心が、彼から溢れていた。それを無理やりグループという枠に閉じ込めてきたのは、彼自身であり、ファンでもあったと思う。
だから、私は、自分の意見を書いてきた。
ブログという場所は、自分が自由に表現出来る場所だと思っているからだ。自分の意見を書くことで、大勢の意見と異なることもしばしばだった。それでも、この場所は、私の自由な見解を書くことを許される場所だと思っている。
この記事もおそらく多くの人の見方とは異なるかもしれない。しかし、ジェジュンという人を応援する中で、彼が韓国人であるということ、韓国という国に住んでいるということは、避けて通れない事実でもある。
これから、日本活動が本格化していくと思われる中で、今一度、考えてみたいと思うことを自分の記憶として書いておこうと思う。
最近、過去記事を再公開する為に記事を読み返してみると、数年前に記事を書いた頃と韓国の状況は何も変わっていないのだということに気づく。いやむしろ、反日感情は、酷くなっているかもしれない。
さらに、ここへ来て、左派寄りの政権が誕生し、北朝鮮と一気に和解ムードになろうとしている韓国は、14年前に彼が日本にやってきた頃の韓国とは大きく異なる。
そんな状況の中で、ジェジュンが日活を再開する決断をしたこと。その事を自分なりに考えてみたいと思った。
この記事は、私の全く個人的見解で、韓国ファンを誹謗するものではない、ということを先に明確に書いておきたいと思います。
但し、立場の違いは、どうしても理解の範疇を超えるものだということも書いておきます。
この8年、ひたすらに彼の帰りを待ち続けた一人の日本ファンとして、率直な気持ちをこの場所に書きとどめておきたいという気持ちから、記事を書くものです。
なお、いつも私の記事に関して、批判や誹謗中傷が起きますが、私の記事が、どのような視点で書かれているかは、批判する方達は、十分、ご存知のはずで、ご自分達の意見にそぐわない記事であるのは、明確なのですから、読みにこないで頂きたいと思うばかりです。
わざわざ読みに来ては、批判を繰り返す心理を理解することが出来ません。気に入らない存在なのですから、放置しておいてくださればいいと思うばかりです。ご自分達の意見が正しいのですから、異なる意見は必要ないでしょう。
わざわざ批判をブログに書いたり、twitterで呟いたりする労力は、余りにも無駄だと感じます。批判する人は、その批判が、あなた自身の読者やフォロワーへの間接的な批判に繋がっているということを知るべきです。
ネットに集うファン社会は、非常に一部の限られたファンの集まりであり、狭い社会です。
批判している人間のフォロワーや読者が、実は自分のフォロワーや読者だったということは、多々あるほど、狭い世界なのです。
そこに集う人たちは、同じ土壌で、一方では、記事に賛同し、一方では、その批判を読むことになるのだということを知っておくべきだと思います。その時、どういう感情を読者やフォロワーが持つのか。
(何も言わない)サイレントマジョリティーの存在が、実は、ファン社会を動かしているのだという現実を知っておく必要があるかもしれません。
ジェジュンが昨年10月のドリフェスで、日本で公式の個人ファンクラブを発足させたこと。
これが、実質上の彼の日本に於ける個人活動の宣言だったと思う。
即ち、日本では、個人で活動するというものだ。
ファンクラブというものは、日本と韓国では、大きく存在が異なると感じる。
韓国では、グループに属していても、私設の個人ファンサイトの活動が盛んだ。
ジェジュンも東方神起というグループのメンバーでデビューしたにも関わらず、最初から公式ファンクラブとは別の私設個人ファンクラブがいくつも存在していた。
これは、韓国ではポピュラーなことで、公式のファンクラブの活動よりも、私設ファンクラブの活動の方が活発だ。
私設ファンクラブは、贔屓の芸能人の動向を知る為に、事務所やマネージャーと懇意な関係を結ぼうとする。そこには、当然、利益享受の関係が成立し、その度合いによって得ることのできる情報量が異なるというのは、当然のことだと思う。
少しでも他より優位に立ちたい、有利な情報を得たい、という思惑がさらにマネージャーや事務所との金銭的癒着を生む構造が広がっている。
8年前、ジェジュンのファンになり、初めてブログを書き出した頃、あちこちのブログを訪れ、偶然、出会ったブログは、ある韓国のファンサイトが日本ファン向けに運営しているものだった。
その頃、私は、ブログの世界の何も知らず、ファン社会の何も知らなかった。
だから、ファンサイトのマスターと名乗る人間からのコンタクトは、正直、戸惑いに近いものがあった。大きなファンサイトのマスターだと名乗られただけで、彼女が大きな権力を持つ特別な人間のように感じたからだ。
ジェジュンが韓国へ戻ってしまって、その頃の日本には何の情報もなかった。
とくに韓国語が全く出来ない私にとっては、何も彼の情報を知る手段がなかった。
日々、あちこちのブロガーが書く情報を読んでは、彼の動向を何とか知るという程度しかわかり得なかったのだ。
だから、マスターと名乗る人物から与えられる情報は、私にとっては特別な意味があった。また、その情報は、どこにも書かれていないものが多かった。
彼の情報を与えられる中で、私は、彼の置かれている状況をよく知ることになった。さらにそのような情報を知っている彼女に対しては、一種の畏れのようなものも感じた。
その頃の私には、韓国の私設ファンサイトは、絶大なる力を持っているように感じたものだった。事務所やマネージャーとも懇意な関係を築いている私設ファンサイトのマスターという存在は、きっとジェジュン自身にも大きな影響力を持つ存在なのだろうと感じていた。
そして、彼女と交流する中で、私は、韓国ファンのホンネを幾度となく知ることになった。
日本でブレイクし、トップを目の前にして、韓国へ戻ってしまった彼に対して、私達日本人は、彼の日本活動を望んでいたし、彼に再び日本に戻って、成功して欲しいということを夢見た。しかし、韓国ファンは、必ずしも同じ気持ちではないということを彼女との交流の中で、感じたのだった。
彼女は言った。
「彼を日本には帰さない。このまま日本にすぐに戻って日本で成功すれば、彼はまた、韓国では駄目だと言われる。日本に戻るのは、韓国で成功してからだ」
「彼は日本でたくさん傷つけられた。だから帰さない」
その頃の私は、大きなファンサイトのマスターが彼を帰さない、と言えば、彼は本当に日本には帰ってこないのだろうと思っていた。
それほど韓国のファンサイトの存在は、芸能人にとっては大きな存在であり、ファンサイトの意向が、芸能人の動向に少なからぬ影響を与えると感じていたからだ。
だから、韓国ファンが、彼を日本に戻したくない、と言えば、彼は戻って来れないように感じていた。
彼女の言葉を裏づけるように、彼が韓国に戻って最初に出たOST「君には別れ、僕には待つということ」は、「やっと彼が韓国に戻ってきた」と韓国ファンから賞賛された。そこに、それまで彼が日本で日本語のCDばかり発売していることに対する韓国ファンの気持ちが現れているように感じた。そして、彼女達が、彼にあくまでも歌手活動を望んでいるのではなく、俳優としての活動でも構わない。とにかく自分達のジェジュン「ウリジェジュン」が有名で人気があればいいのだという考えが大きいのだと感じた。
他のメンバーの誰よりも「ウリジェジュンが一番なのだ」ということ。彼がとにかく一番になって欲しい、ということに固執しているように感じられた。
そんな彼女達の気持ちからは、彼が日本でなら歌手活動が続けられるという視点も、JYJとしては韓国でも日本でも活動は出来ないだろう、という視点も、彼が何を望んでいるのかという視点も抜け落ちているように感じた。
もちろん、中には、彼の日本語の歌が好きだし、日本活動を望んでいる、と言ってくれる韓国ファンもいた。でもそれは、非常に少数派だったと感じる。
ジェジュンが、韓国でデビューしたあと、一年の活動を経て、日本で活動しだした頃、韓国ファンは驚いたという。
なぜなら、彼が大きな口を開けて笑っていたからだ。
韓国で活動した一年、彼は、「笑うな」と言われていた。
ビジュアルショックというイメージで売り出したいSMの思惑は、彼に決して人前で笑うことを許さず、クールビューティーのイメージを彼に被せた。だから、韓国ファンは、彼が大口を開けて、笑っているのを見たことがなかった。
彼が日本で活動を始める時、avexは彼に何の要求もしなかった。彼に自然体でいること、「もっと笑って」と言ったのは、avexのスタッフだった。そうやって彼は、自分が日本ではありのままに笑っていいのだと知った。
日本では、ありのままの自分を出しても、何も怒られることがなかった。そうやって彼は、自然な自分を日本で表現した。それを見て韓国ファンは驚いたのだと教えられた。
また、「Lovin you」の楽曲が発表されたとき、韓国ファンの中に衝撃が走ったと聞かされた。
それは、この曲が、ほとんど彼のソロパートだったからだ。
それまで、東方神起は、誰もがメインヴォーカルを取れる歌手であるとの触れ込みから、メインヴォーカルと言っても、メンバーそれぞれのソロパートが平等に割り振られるという楽曲の作りになっているものが多かった。
しかし、「Lovin you」は違った。この曲で、avexはハッキリ、彼をメインヴォーカルのポジションに座らせた。そして、その他のメンバーには、明らかにグループハーモニーという役割を担わせる楽曲構成になっていた。
その構成の曲を聞いて、韓国ファンは、日本では、ジェジュンがメインパートを担うのだとハッキリわかり、衝撃的だったと教えられた。
彼は、日本でありのままの自分を表現することと、メインヴォーカルというポジションを手に入れた。
それは、日本が彼に与えたものだったと言える。その成功体験が、彼の中にあるからこそ、日本活動への思いを失わなかったのだと感じる。
ジェジュンは、日本活動が打ち切りになった後、韓国に戻ってから、心からの笑顔を見せなくなっていた。韓国で見る彼の表情は、日本で活躍していた頃の彼とは明らかに違っていた。日本であれほど溢れるように無防備な笑顔を見せていた彼が、慎重に言葉を選び、以前のように笑わなくなり、まるで人形のような作られた笑顔しか見れなくなった。
2010年10月に高麗大学で行われたJYJのshowcaseでの彼の姿を私は忘れることは出来ない。
まるで蝋人形のような表情の綺麗なだけの彼が、そこにいた。それ以降、どんなに彼の笑顔を見ても、それは、日本で見せていた笑顔と同じだと感じることは出来なかった。
そんな彼が、2011年6月の釜山コンサートで、初めて溢れるような笑顔を見せた。
釜山コンサートでは、彼は終始、上機嫌で、ステージでは笑顔が溢れていた。
釜山の彼を見た日本のファンは、大なり小なりショックを受けたと思う。なぜなら、彼が、韓国で日本にいるときと同じような笑顔を見せたということは、もう日本が彼の特別な国ではなくなった、ということなのだと感じたからだ。日本でしか見せなかった笑顔を韓国でも見せれるようになったということは、韓国でも彼は、自分をありのままに伸び伸びと表現出来るようになったということなのだと感じた人は少なくなかったと思う。
けれども、私は、その数日後に、別の韓国ファンサイトのスタッフをしているという人から、一通のメールを受け取った。そして、そこには、彼が釜山であれほどの笑顔を見せたことが、韓国ファンにはショックだったと書かれていたのだった。
そのメールには、彼が釜山であれほどの笑顔を見せたのは、その前に日本の両国国技館で多くの日本ファンに出会ったからだ、と書かれていた。彼は、日本ファンに出会って安心した。日本ファンが自分達を忘れていないと知って安心したのだ。だから、釜山で笑顔を見せたのだと韓国ファンは感じたという。釜山での彼の笑顔を見て、「ああ、それほど彼は日本に戻りたいのだ」と感じた韓国ファンは多かったと書かれていた。
メールをくれた彼女の属しているファンサイトでは、彼の日本活動を望んでいると書かれていた。
なぜなら、彼が日本では幸せそうに見えるからだ、と。彼は、韓国にいるときよりも日本にいるときの方が幸せそうに見える。そして、今回のことで、彼が日本に戻ることを心から望んでいるのだとあらためて知った、と書かれていた。
だから、あの笑顔は、日本ファンに向けての笑顔だったのだ、と。
しかし、その話をしたとき、いつも交流してきたマスターは、それを否定した。
日本でコンサートを行なったから笑顔になったということはない。彼は釜山でコンサートを開けたことが嬉しかったのだと。
そして、他の二人のメンバーは、ファンサイトを頼りにしていろいろなことを依頼するのに、ジェジュンは全く自分達を何の頼りにもしない。もっと私達を頼ってくれたらいいのに、と嘆いた。
その時、私はハッキリ、韓国ファンである彼女と日本人である私とでは、感じ方が全く違うのだなとわかった。そして、彼女達とは同じ気持ちになれないということも感じた。
私は、どんなに彼女から、「日本に帰さない」と言われても、やっぱり彼には日本に帰って欲しかった。韓国で活躍して成功することよりも、日本で活躍して成功することを望む気持ちを持った。これがホンネだった。
それでも、そんなことは、とても言える雰囲気ではなかった。
当時のファン社会の風潮は、韓国に戻った彼が韓国で活躍し、成功するのを応援することが、韓国人の彼のファンとして正しい道であるかのような論調がファン社会を占めていたからだ。
韓国人である彼の韓国での成功を望むのは、ファンとしてごく当たり前のことだろう。しかし、私は、当時から、彼の韓国での様子を見ながら、本当に韓国社会が彼に合っているのかどうかは懐疑的だった。
さらに出自や学歴が、どんな社会でも物言う韓国社会に於いて、彼のような生い立ちと学歴を持たない人間が、果たして成功出来るのだろうかということも感じた。
何より、彼がどんな時も日本活動を諦めようとしなかった。
それは、親日的発言がマイナスであるという風潮を十分知った上に於いても、日本への気持ちを隠そうとしない彼からは、韓国よりも日本社会の方が、彼にとっては自由なのかもしれない、と感じることがしばしばだったからだ。
分裂騒動の頃に、プロモーターとして日本ファン社会を煽動し、Cjesの意向を植えつけた韓国人が何度も口にした言葉が、「ジェジュンを韓国に取り戻す」だった。
その人物が日本ファンを相手にオフ会を開いた時に耳にしたその言葉は、私の中で非常な違和感を持った。
「ジェジュンを韓国に取り戻す」
「東方神起は、韓国のグループなのに、avexが盗ったんだ」
ジェジュンも東方神起も彼の持ち物ではない。
それなのに、彼は、まるで自分の持ち物かのように、「取り戻す」と何度も言った。
そこには、韓国特有の「ウリ○○」という感覚、考え方が存在するのだと今の私なら理解出来る。
この「ウリ○○」という感覚こそが、個人を認めない、個人の考えを認めようとしない韓国独特の物の考え方だと思う。
即ち、ジェジュンは、私達韓国人のものだ、という感覚だ。
「ウリ○○」「ウリ○○」という考え方は、韓国では当たり前の感覚なのかもしれない。
それは、寿司や、あんパンなど、日本文化固有のものであっても、すべてそのルーツは、韓国にあるのだと言い放つ感覚から来ているのかもしれない。
どんなものでも、自分達の国のものなのだ、と言い放つ感覚だ。
それが、たとえ、意思を持つ人間であっても、自分達の所有物なのだという感覚に通じるのだろう。
だから、「ジェジュンは韓国のものだ」という発想に繋がるのだと思う。
ジェジュンが、韓国ではなく、日本で公式の個人ファクラブを発足させたこと。
そして、その名前に彼は、自分の名前をつけた。
JAEFANS
即ち、ジェジュンのファン達、という名称だ。
そして、韓国にはない個人事務所を立ち上げたこと。
これらは、きっと韓国ファンにとっては、許せないことなのかもしれない。
韓国で初めてのミニアルバム「I」が発売され、バースデーファンミが行われた時、会場で、あからさまに日本ファンへの不満を話す韓国ファンが何人も存在した。
それは、何もその時だけに限ったことではなく、ガイドが、「今日は、ジェジュンさんは日本語を話しません。韓国ファンが焼きもちを焼くからです」とツアーに参加した日本ファンに話すほどだったという。
彼女達の感覚からすれば、韓国人のジェジュンが韓国よりも日本での活動を望むこと自体が許せないのかもしれない。
「ウリジェジュン」は私達のものだ、という感覚なのだろう。
そこには、韓国は日本よりも優れている、という事大主義的な発想が占めているのかもしれない。
人は、母国が必ずしも合うとは限らない。
母国よりも外国の方が、自分の感覚に合っている人もいるだろう。
日本では、欧米で活躍している人も数多くいる。
XJAPANのYOSHIKIなども、アメリカでずっと暮らし、活躍している。
そんな彼を見ても、「アメリカに盗られた」と思うファンは、日本にはいないだろう。
彼の感覚が、日本で暮らすよりもアメリカの方が自分らしく暮らせると思うなら、それでいいと思うだろう。
彼の音楽活動が、日本にいるよりも海外の方が、より幅広く活動出来るのであれば、アメリカに住んで、活躍して欲しい、と願う。
それが、日本ファンの気持ちであって、「YOSHIKIは日本のものなのに、アメリカに盗られた」とは決して思わないはずだ。
そして、アメリカに活動拠点を移したYOSHIKIを非難する感覚も持ち合わせていない。
その人の幸せを願うなら、その人が生きやすいと感じる場所で、活躍してくれることを願うはずだ。
そこには、個人は、自分の持ち物、という感覚はない。
たとえ芸能人であっても、個人の権利は守られ、自由も守られる。
それが日本人の感覚だと言える。
しかし、韓国ではそういう感覚は残念ながら育っていないと感じる。
何もかも「ウリ○○」と言って、贔屓の引き倒しをする感覚。
欧米で認められる活躍であっても、そこには韓国人だから素晴らしい、という感覚は、およそ個人の自由や権利を認めていないに等しい。
この8年、韓国という国を知るにつけ、日本とは全く違う国なのだと感じることが多々ある。
資本主義であり、一見、自由そうに見えて、韓国社会には、個人の自由な権利はほとんどないように感じる。
個々の権利を認めず、国の為に存在する、という価値観を押しつける感覚は、主義の違いこそあれ、北朝鮮と同じ感覚を感じさせる。
そんな国にいるファンからすれば、今回のジェジュンの「日本で本格的に活動する」という決意は、母国を捨てたかのように感じるのかもしれない。だからこそ、「日本にジェジュンを盗られた」という感覚になるのだろう。
そこにジェジュンという人の意思を慮る(おもんばかる)心は感じられない。
そんな状況の中で、彼は、日本活動を本格化させようとしている。
彼の日本活動の足を引っ張る鎖は、家族、事務所だけではない。
韓国ファンという大きな鎖が新たにくくりつけられたのかもしれない。
文章の一部抜粋や全文の無断掲載を一切禁じます。リブログは構いません。
※
ブログを読んでくださってる方の中には、実は韓国の方がいらっしゃることも知っています。
この記事を読めば、不快な気分になるのも承知して、あえて書きました。
「ジェジュンを日本に盗られた」と韓国ファンが言っていると聞かされたからです。
私にはその感覚がわからなかった。
頭ではわかっても、心を理解出来ませんでした。
彼のファンであるなら、彼の意思を尊重して欲しいのであって、その言葉を彼が聞いたら、どんな気持ちになるのかということを想像しないのが悲しかった。
彼が、日本活動を決断するには、余りにも多くの事柄を捨てたと思うからです。
彼が、今後、日本活動をする中で、韓国特有の所有欲に傷つかなければいいと思っています。
歌手として自由に活動ができ、成功することが出来るのは、どの場所なのかということを狭い了見で考えて欲しくないと感じています。
彼が自国のファンを大切にしないわけはなく、それほどに気を使っているということを韓国ファンは感じたことがあるのだろうか、と思ったりします。
韓国ファンに「日本に盗られた」と言われない為にも、日本で彼がブレイクし、誰もが彼が日本で活躍することを良しと感じるほど、日本の芸能界の中で、なくてはならない存在になっていって欲しいと感じます。
長く長く活躍して欲しい。
それが、彼の日本活動を韓国ファンに納得させる唯一の方法なのかもしれません。
彼の日本活動を支えるのは、ファンしかいない。
彼の日本活動が当たり前だと思ってもらえるように、活躍する場所が与えられることを願っています。
最後に繰り返しておきますが、これは私個人の見解であって、日本ファンであってもそうは思わない人もたくさんいるはずです。
あくまでも個人的見解であって、韓国ファンを誹謗中傷する意図も、日本ファンの気持ちを代弁するつもりもありませんので、あしからずご理解お願いします。
いちいち、批判ブログやアンサーブログを書かれると、ハッキリ言って不愉快です。それだけお伝えしておきます。
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