飢えている。
日本ファンは、ジェジュンの歌声に飢えている。
そう思った。
ドリフェスまで10日余り。
たった3組しか出演しないスペシャルナイト。
2時間半のフェスティバルは、単純計算しても1組50分。7、8曲は歌える計算だ。
最後に出演者全員でコラボするにしても、たっぷりミニコンサートをするだけの持ち時間はある。
2月にツアーが終わった時、彼は言った。
「また会える。きっと会える…」
自分に言い聞かせるように言いながら、堪えていた涙を零した。
あの時、彼には何も見えていなかったはずだ。
ずっと願い続けた日本での音楽活動。
韓国では満足に歌えない。音楽活動はできないに等しい。
国内のコンサートは、ソウルのみ2回の公演に対し、日本でのコンサートは、4都市9公演にも及ぶ。
除隊後、ひと月余りでのツアー開催。
さらに告知から僅か2週間のアンコールコンサートであるにも関わらず、10万人を集客する力は、彼の最大のファン層がどこにあるのか、歌手としてのニーズはどこにあるのかを明確に示したと言える。
今の彼にとって、日本を超える場所はないと言っても過言ではないかもしれない。
2月のツアー以後、彼の音楽活動は止まったままだった。
除隊後の初仕事にドラマを勧めたという事務所は、ツアー後、強力に俳優活動を推し進めた。
聞こえてくる話は、韓流スターとしての仕事。
出身地公州の広報大使やリゾート地パラダイスの広報大使などは、単に事務所の称号集めに駆り出されただけのようにも見える。
4月に公州の広報大使に任命された時、正直、ああ、これで益々、韓国芸能人としての足枷が嵌められたと感じた。
毎年10月に行われる百済文化祭には、広報大使として出演し、任務を果たす事が予想された。
下半期、日本に戻ることは無理だと思った。
パラダイスファンミの広報大使は、明らかに事務所の計画したファンミの客寄せにねじ込んだとしか思えない。
広報大使と言いながら、広告写真一つない現状は、いかに任命されたと言えども、一体何のための任命だったのかと疑いたくなる。
単に日本向けのファンミの客寄せパンダと言われても仕方ない。
ファンミの動画メッセージで、下半期には韓国での活動が多くなると話した、いや、言わされた彼には、実際のところ、何も見えていなかったかもしれない。
そして、それは、事務所も同じだったと言えるだろう。
何も計画されてはいない。行き当たりばったりの活動でしかない。
目の前の近視的収益しか考えていないCjesのいつものやり方だ。
公州の広報大使においては、もっと酷い。
今年の百済文化祭は、既に10月10日に終わっている。
市長とツーショットまで撮り、大々的にアピールした広報大使というポジションは、一体何だったのか…。
10日と言えば、彼は何をしていただろう。フランスから戻り、中国に行く前日だ。
百済文化祭出演のオファーがあったのかなかったのか…
彼にとっては、今までの経験から言えば、広報大使は単なる名誉職、称号のようなものでしかないのかもしれない。
Cjesに本気でその称号を生かす考えがあれば、それこそ、彼に韓国人としての自覚、韓流スターとしての自覚を植えつけるのにもってこいの仕事だったと言える。
Cjesが絡まないフォトグラファーの仕事を選び、フランスに行った彼にお灸を据えるにはちょうどの仕事だったのに、Cjesには、そんなマネージメント力もないとみえる。
突然のドリフェス出演は、発表前に流石に知らされていたとは言え、Cjesには寝耳に水だっただろう。
ドラマ出演で縛りつけ、今年度の歌手活動を封じ込めたとばかり思っていたはずだ。
それなら、と、慌ててファンミをねじ込んだ様相が可笑しかった。
ジェジュンを如何に歌手ではなく、単なる芸能人、俳優として存在させるか…
Cjesは、躍起になっているように見える。
日本から引き離すこと。
日本ファンにも彼自身にも、ジェジュンは、韓国人であり、会いたいなら韓国に来い。多額の金を払って会う相手なのだということをわからせる必要がある。
そのためにいろいろ画策した努力が、ドリフェス出演という一言で泡と化したのだ。
日本の音楽フェスティバルに出演するということ。
それも外国人アーティストの枠ではなく、単に日本の音楽界に馴染みのある歌手として出演すること。
おまけに地上波での放送まであるという。
Cjesや他メンが喉から手が出るほど欲しかった地上波出演。
それを彼は、俳優ではなく歌手としてやってのけようとしている。
それもソロ歌手として。
いつも亡霊のように立ちはだかるJYJという冠は、どこにもない。
「僕を日本のテレビで見たいと言ってくれる人が多かったから、出演が決まりました」
彼は、ファンのおかげで出演が実現したように言った。
しかし、彼の出演が決まるまで、ドリフェスという名前すら知らなかったファンは多かったかもしれない。
さらに、日本活動から7年も遠ざかってる歌手が、いきなりそんなフェスティバルに出演できるとは、想像すらしなかっただろう。
それぐらい、ドリフェスへの出演は、ある意味、唐突感のあるものだった。
180曲余にも及ぶ日本のカバー曲のリクエスト。
ありとあらゆる分野の音楽に及び、如何に日本ファンが彼の日本語の歌に飢えているかがわかる。
ロックあり、ポップスあり、バラードあり、果ては演歌やミュージカルナンバーやオペラまである曲目を見ると、「もう、何でもいいから、歌ってほしい」「日本語の歌なら、何でも構わない」という究極の願いが見えてくる。
ほぼ2ヶ月に1枚のペースで出し続けた30枚のシングルのサビの部分だけを抜き出せば、彼の声ばかり聞こえる、というほど、5人の東方神起の歌声は、彼の歌声だったと言っても嘘ではない。
多くの日本人が慣れ親しんだヒット曲のサビ部分は、彼の歌声だった。
彼の歌声を聞かない日はなかったと言えるほど、多くの人の記憶に残る。
彼の歌声イコール日本語の曲と言っても言いすぎにはならないほど、彼の歌声は、日本語の曲の記憶と共に多くの人の耳に残るのだ。
そんな彼には、どんな歌でも構わない。
日本語の歌なら何でも構わない。
とにかく歌手ジェジュンの歌を聴きたい。
歌手ジェジュンに日本語の歌を歌ってほしい。
それがファンの本音のように思える。
年内、歌手ジェジュンに会えるのを諦めていた。
そんな私達に、彼は、約束を果たしてくれた。
ドリフェスという最大の贈り物を用意して。
あと10日余りで、歌手ジェジュンに会える。
彼の歌声をシャワーのように浴びたい。
ただ、それだけを願ってる。
ジムに通い、トレーニングに励む彼は、ドリフェスに向けて体力を養っているようにも見える。
ピアノに向かい、弾き語る姿からは、彼が単なるアイドル歌手で終わるのではなく、自分の手で音楽を生み出すアーティストの姿しか見えない。
所詮、アイドル歌手の枠に収まる器ではなかったのだ。
それを無理に封じ込めようとすれば、いつか爆発する。
SMを出た時のように、決して、自分のやりたい事を我慢し続ける人間ではない。
それは、真摯に音楽に向かえば向かうほど、自分の気持ちに誠実に向き合おうとすればするほど、自由を求めるのが、クリエイトな仕事をする人の性とも言える。
フォトグラファーや俳優、芸能人としての仕事をどんなにしても、ステージは、彼を一瞬で音楽の世界に連れ去る。
ドリフェスで思う存分、ステージを駆け回り、歌えばいい。
そうすれば、彼は思い出す。
ああ、自分は、致命的に歌が歌いたいのだ。
歌手は、天職だという事を。