前記事からずっと記事を更新していませんでした。その間に多くの方から、メッセージや非公開のコメント、DMなどたくさんの連絡を頂きました。
殆どお返事が出来ていませんが、いろいろな方の気持ちを読ませて頂き、多くのご心配をおかけしていることを知りました。申し訳ありません。
私は、ブログを書き始めて7年。いつも自分の気持ちに正直にしか書いてきませんでした。私の書くことが読者の方々に何かしらの影響を与えるという実感も持っていません。ただ、今までもそうしてきたように、正直に書かせて頂くことが、メッセージを下さった方々への唯一のお返事になると思って、記事を書くことにしました。
今日は、ジェジュンが日本に帰ってきます。彼が日本に戻る前に、7年間、オンリーとして過ごしてきた人間として、きちんと書いておきたいと思いました。

 

前記事を書いたあと、何がしかの影響を読者の方に与えたのだと思った。
彼が除隊したあと、私は何も書けなかった。
彼が知らない人になったような感覚だった。

僅かひと月前、彼は除隊した。
除隊してあっという間に芸能人へと戻った。否、戻ろうとしていた。
そんな彼と手の平を返したようなCjesのスタッフの扱いを見るにつけ、彼がどんどん包囲網を固められているのを感じた。

「罠に落ちる」
そう感じた。
それは、彼だけでなく私を含めたオンリーもだと思った。

入隊中の彼は、いつも私側にいた。
軍隊という特殊な環境の中で、彼の思考は全くのフリー状態に置かれていた。それは、愛国心を煽る教育や知識を詰め込まれていたとしても、経験から生まれた彼の日本への価値観や日本活動への思いは揺るぎがないと感じた。
入隊中ですら、彼はことあるごとに日本との繋がりを捜しているように見えた。
日本料理店に入り浸り、日本料理を食し、あちこちの店で、日本ファン向けのメッセージを日本語で書き残した。
その行為の中には、彼の揺るぎない日本への思いと、どんなに入隊中であっても、自分の思いを隠そうとしない潔さがあった。
どんな場所にあってもジェジュンはジェジュンなのだ、という確固たる信念を感じるだけだった。
そんな彼は、韓国人としての務めを果たすために誰よりも努力した。努力の末に勝ち取ったものは、現役軍人としての名誉である「特急戦士」という称号だったかもしれない。
どんな環境に置かれても、どんな状況であっても誠実に物事に取り組むという彼の生き方の姿勢が、韓国社会の中で初めて認められた場所が、軍隊という場所だったのは皮肉なことだと思う。
そうやって除隊した彼を待ち受けていたものは、手の平を返したようなCjesの扱いだった。
韓国社会の中で、高い評価を得た彼を、自慢げにサポートするCjesの姿だった。
そんな中で、除隊後の彼は、Cjesの扱いに戸惑いを感じたのかもしれない。除隊後の彼を多くの仕事が待ち受けていたのも彼を惑わさせる原因だったのかもしれない。
そういう彼を見ながら、私は戸惑った。
彼の姿を見失った。彼の心も見失ったのだと思う。

私は彼が日本活動を打ち切られてから、本格的にファンになった。
日本活動を打ち切られていなかったら、おそらくこれほどのファンにはならなかったと思う。
ブログを書き始めたのも、オンリーだと書いたのも、彼の日本活動がなくなったからだ。
この7年、彼は、いつも私にとっては、ネットの中でしか存在していなかった。
それでも彼の心を感じたし、彼の心を信じることが出来た。
彼が日本活動再開を切望していたのは知っていたし、彼が本当に欲しいものも日本活動だと確信出来ていた。
だからこそ、どんなに叩かれようと、非難されようと、彼の為になると思ったサポートはどんなことをしても実行してきた。リムジンのラッピングカーも、地下鉄広告も、彼の存在を忘れて欲しくなかったからだ。日本社会から忽然と消えてしまった彼の記憶を多くの人に思い出して欲しかった。
彼が帰ってくる場所を守って待っていたかっただけ。その一心だけでサポートを行なってきた。
彼の日本への気持ちを確信出来た。だからこそ、どんなに批判されても私は平気だった。
でもそんな彼が、除隊後、どんどんCjesの巧妙な手口に翻弄されているように見えた。
そんな彼の気持ちを見失った。
どんなに日本語を書き込まれても、どんなに日本語で話されても、私の心には響かなかった。この7年で初めて、彼から離れたいと感じた瞬間だった。
そうやって私は、ブログを書けなくなった。

 

ネットの中に存在している彼は、疲れれば、ネットから離れてしまえばいい。
現実社会の中に彼はこの7年間、一度も存在していなかった。
年に一度あるかないかの来日。そんな時ですら、日本の放送媒体に出ることは殆どなく、彼を感じるのは、もっぱらネットの中だけだ。
いつも過去の彼の姿を見るだけなのだ。
だから、疲れてしまえばネットから離れてしまえばいい。
そうやって私はある時期、離れた。
この7年間で、初めて彼から離れたいと思い、彼の日本への思いを見失い、彼の気持ちを見失った。
そして思った。
元の場所に戻ればいい、と。

もともとクラシック畑の私は、ポップスに興味を持たなかった。
何人か、本当に歌の上手い人は好きだったし、今でも好きな人はいる。
でもそれだけだ。「歌が上手い人」という認識の中で、その人を深く知りたいと思わなかった。「歌が上手い歌手」という認識以上に何の興味もない。
もし、彼が日本活動を7年前に続けていたら、私の中で、間違いなくジェジュンという歌が上手い韓国の歌手がいる、という程度のファン心理だっただろうと思う。

もちろん人生初のコンサート「THANKS」は楽しかった。
けれどもそれも、どちらかと言えば、ユノペンの娘やユチョンペンの娘の友人に引きずられてエントリーしてみたら、抽選に当たった、という始まりでしかなかった。
だから、彼がコンサートで涙も見せず、順調に日本活動を続けていたら、私はその後、コンサートに無理をしてまで行かなかったかもしれない。
彼が活動を続けていたら、間違いなく私はブログは書かなかったし、私という人間もネットには存在しなかった。
だから、元の場所に戻ればいい、とさえ思うほど、私は疲れきっていた。
それは、批判されることへの疲れではなく、彼の気持ちを見失ったことへの疲れだった。

 

私は、これまでの人生を芸術をやる人間にありがちな「直感」で何事も決め、行動してきた。
だから、彼のファンになったのも「直感」であり、彼を信じれる、と思ったのも「直感」だ。
彼の気持ちが確かに日本にある、と感じていたのも「直感」だったし、それを信じてきたのも「直感」以外の何者でもない。
その「直感」が、このままファンを辞めるかもしれない、と初めて感じていた。
だから、誰にも言えなかった。何も書けなかった。
「ファンをやめますか?」と聞かれても「わからない」としか答えられないほど、私の気持ちは迷路に入り込んだままだった。
だから、お誕生日のメッセージの記事も書く気持ちにならなかった。

いつもこの7年、私は、「書く」という作業において、自分の気持ちに正直だったから。

嘘は書けない。

今までも揺れる気持ちがある時は、そのままに書いてきた場所だった。
だからこそ、正直なところ、何も書けなかった。
だからこそ、全ての会場のチケットを手にしても、何の感動も持たなかったのかもしれない。
自分で自分の気持ちがわからなかった。

 

でも突然、私は元の気持ちを取り戻した。
心の中にストンと落ちる出来事があったからだ。
そうしたら、全てが見えた。
彼が何を思っているのか、何をしようとしているのか、日本への思いも日本活動への思いも、すべてが私の中で、ストンと落ちた。

今は何のわだかまりもなく、元の場所に戻っている。
不思議なぐらい、何のわだかまりも持たない。
あれほどに疲れ、悩み、ファンをやめるかもしれないとまで思った日々は、存在していなかったかのように。

彼は、今日、日本に戻ってくる。

ひと月という長い滞在期間は、この7年間で初めてのことだ。
観光と日本を懐かしむ為に滞在する彼でないことだけは、確実だ。
いつも前を向いて、彼の言動には、意味があった。
そんな人が何の理由もなく、ひと月も日本に滞在するわけがない。
特に除隊後の彼は、今までのブランクを取り戻すかのように歌手活動に専念し、歌手であることを全面に出している。
両腕に刻み込んだタトゥーには、「音楽を決して手放さない」という彼の歌手としての強い意思を感じる。

そして、きっと本当の「ただいま」を言う日は必ずやって来る。
それは、少し違った形になるかもしれない。
でもそれが彼の原点であり、彼のやりたいことなのだとわかる。

そして、私は、たぶんもう二度と彼を見失わないだろう。
見失ったら、彼は日本に戻らない。
それがわかるから。

私は元の場所に戻る。
ジェジュンに帰ります。

 

たくさんの励ましやご心配のメッセージを頂き、申し訳ありません。
普段、交流のない方々からのメッセージは、特に嬉しかったです。
自分が取り組んでいるものに多くの時間を割かれ、本当は、28日に記事を書くつもりでしたが、記事を書けないままでした。
それでも毎日、何千という方のアクセスを頂いたことを感謝します。
これからも自分のペースで、この場所で彼のことを書き続けて行きたいと思っています。
もし、時間が許せば、覗きに来てみて下さい。
本当にありがとうございました。