女性セブンが発売され、あちこちで完売の状況になっている。
彼が一人で日本の週刊誌の表紙を飾るのは、週刊誌ではないが、2010年のanan以来のことではないかと記憶している。
その後も確かに彼が表紙を飾った雑誌はあったが、それは、どれも特別仕様だったり、グローバルな雑誌の日本版の彼仕様だったりで、いわゆる日本の雑誌の表紙を一人で飾るのは、実に7年ぶりのことなのではないか、と思う。
ドリフェス後の彼の日本活動に関する動きが早い。
その兆候は、8月のkaveのオープンイベントで既にあったと言える。
彼は、オープンイベントの直前にも日本を日帰りしている。
思えば、4月以降、何度、日本にやってきているかわからない。
それぐらい頻繁に日本を訪れている。
訪れるには、訪れるしか解決出来ない問題があるから、やってくるのであって、それを除いて、メールや電話だけで処理出来る案件が、どれぐらいだったのだろうかと思う。
日本語検定を受験したことにも現れるように、日本に仕事の拠点を移す、という彼の決意の本気さが感じられる。
検定まで受けるのは、すべての事柄を通訳を通さずに、自分で理解、処理する能力を身につける為だろう。
ここに、誰にも頼らず、あくまでも自分主導の形で、日活を再開させたいという彼の強い意思を感じる。
入隊前の数年間も、確かに彼は日本活動を希望していたし、諦めなかった。
一番可能性の高かったのは、2013年の横アリ直後だった。しかし、そこは、Cjesが完全に彼を取り込んだ。その後も何度も何度も彼は日活再開の機会を潰されてきている。
しかし、その度に感じたのは、どちらかと言えば、受動的な態度だった。
自分の置かれている環境をそのまま鵜呑みにし、その中で、何とか努力しようとする方向性。
彼の気持ちだけが、強固なのは感じても、それを実現するためには、どうするのか、という具体的な形は全く彼の中から見えてこなかった。
その理由の一つに、兵役があったことは間違いがない。
大手事務所の練習生から、デビューし、トップアイドルに上り詰める間、すべてのことは、管理された中で芸能人として彼は生きてきた。
健康管理、情報管理、仕事の管理。
与えられた仕事の中で、意見をいう事はあっただろうが、仕事そのものを一から生み出す、ということはなかったはずだ。
いつも誰かが取ってきた仕事、事務所が準備した仕事。
与えられた環境と与えられた情報の中で生きてきた。
それは、Cjesに移っても変わらなかった。
ただ、日本活動の仕事をCjesは与えようとしなかっただけだ。
与えられる仕事は、韓国の俳優としての仕事だけ。
音楽に疎く、俳優の世界しか知らないCjesなら、当然の結果と言える。
「音楽の世界を全く知らないようだから、大丈夫かな、と思った」
そう言った彼のぺク氏への第一印象の通りの懸念が起きていただけのことだ。
知らなかったのではなく、わざと彼に与えなかっただけの部分もあったとは思える。
完全にマインドコントロールされ、限られた情報しか与えられなかった中で、あれほど頑固に強固に日本への気持ちを失わなかったのは、奇跡とも言える。
2013年の頃は、完全に包囲網の中に取り込まれ、日本活動を諦めたとも思える発言もあった。
長く求職難の続く韓国では、子供が出世出来る道は限られている。
学力を鍛え上げて、ソウル大学に入学させ、優秀な成績を収めて、サムスンに就職する道。
これは、大学卒業者の僅か3%とも言われる。
さらに定年の早い韓国(だいたい、大手企業の定年は50歳前後)では、定年後の人生が長く、まだ子供も自立していない時期に定年を迎える親が多い為、個人事業主にならざるを得ない現実がある。
定年後の安定した生活を迎える為には、48歳頃までに重役になっている必要があるとも言われる。
日本の状況とは大きく異なる。
韓国では、子供が親の老後も生活も見るのが当たり前で、自分達の生活をみてもらうために子供を育て上げると言っても過言ではない。
親の権限が強く、子は親に基本的に逆らえない。
子供の人生も進路も親が決めると言えるほど、親の影響力は絶大だ。
即ち、どのような親をもつかによって、子の人生も決まる。
学業の道を進まないなら、あとは、スポーツ選手にするか、芸能人にするかしかない。
大手事務所の練習生制度は、そういう親の願望をくすぐり、毎年大量のアイドル予備軍を生み出す。
韓国芸能界は、日本のそれよりもキャパも狭く、市場も狭い。
それなのに、毎年、多くの人間がデビューする。
ジェジュンが練習生になった頃とは、比べ物にならないほど、大量のアイドル予備軍とアイドルの存在する状況だ。
東方神起として、アジアを席巻し、日本でもトップの座に上り詰めた彼が戻った韓国の芸能界は、既に飽和状態に近かったと言える。
毎年、次々、大量の人間がアイドルとしてデビューする世界だ。
JYJとしてのグループ活動の道が閉ざされ、歌手としてのメディア露出の道が封印された状況の中で、自分の存在が忘れられないようにするには、俳優としての道しかなかったとも言える。
彼の選択は、Cjesの妨害があったとはいえ、あの時点では正しかったと言えるだろう。
あのまま、JYJだけにこだわり続けていれば、やがて、彼は忘れ去られた存在になることは避けられなかった。
俳優以外の仕事と言えば、衣料や化粧品のモデルしか仕事がなかった時期だ。
芸能人にとって、忘れ去られることほど、怖いことはない。
それでも最初の3年間は、何とかそれまでの貯金で生きてこられたと言える。
貯金と言うのは、芸能人としての貯金だ。
それを3年間でほぼ食い潰したと言ってもいいかもしれない。
すっかり彼の歌声は、過去のものとなり、歌手ジェジュンは、過去の人、ネットの中だけの存在になりかけていた。
2013年に行われたソウルのバースデーコンや、横アリのファンミの時のミニコンサートのレビューにも書いたが、長い間、満足に歌えなかった彼の歌手としての限界は、ギリギリのところまで来ていたと言える。
あれが、もし、1年、遅れていたなら、彼に歌手としての再生はない。
長いブランクを取り戻すには、用意周到に準備された練習計画と、長い練習期間が必要になる。
芸能人としての活動を続けなければ、生きていけない状況の中で、歌手に復帰するために、長い練習期間を取ることは不可能だろう。
おっつけ、練習不足の形での復帰は、かつての彼の歌声を知っている人達にもわかるほど、伸びの欠いた歌声になるのは必至だ。
本人とファンとが持ち続けるイメージの亡霊に、彼自身が苦しめられることになる。
そうやって、彼は、かつての歌声を失った過去の歌手になりさがってしまうのだ。
歌手のブランクは、3年が限度。
それ以上なら、歌手生命を脅かすと知っておいた方がいい。
そういう点で、彼はギリギリの地点で復活した。
やっと歌手として復活したあとは、今度は彼は入隊という韓国男性としては避けられない義務に脅かされることになる。
韓国の兵役義務は、18歳から生じる。
多くの一般人は、早く行って早く復帰しようとする。
最もポピュラーなのは、大学2年生で入隊し、2年間、休学して、20歳過ぎで復学。その後、社会人となるという方法だ。
それなら、社会に出てからのキャリアが中断されることはない。
しかし、芸能人なら、どうだろう。
10代は、多くの芸能人がデビューしてまもない頃だ。
やっとデビューし、これから多くの人に名前を売って行かなかなければならない大切な時期だ。
そんな時に入隊すれば、やっと覚えてもらった名前も、存在すら忘れられてしまう。
そんな余裕は、到底ない。
だから、多くの芸能人は、20代に活発に芸能活動を行う。20代に十分活動をして、貯金をしっかりして、20代後半に2年の兵役を迎える。
貯金さえしっかり出来ていれば、ブランクを経ても、芸能活動を再開出来るからだ。
しかし、ジェジュンは、その最も貯金をしなければならない時期。即ち、芸能人として、アイドルとして一番いい時期に、ほとんど仕事を干された形で過ごさなければならなかった。
東方神起時代の貯金は、JYJになったときになくなったと言ってもいい。
一方的に悪者扱いにされたイメージは、一部のファン以外には、到底いいイメージとしては残らない。
情報操作が徹底的にされ、日本でも韓国でも、ほとんど露出することがなかった。
日本においては、活動していることすら知らない人がほとんどだとも言えるほど、完全に封印された芸能人だった。
今回、ジェジュンをドリフェスで知って、「活動してたの?」と言った反応が多かったこと。
JYJの活動は知らなくて、彼の記憶は、元東方神起としてしか知らない人が多かったことからもわかるように、JYJとしての芸能人の貯金はゼロに等しい。
今だに多くのファンを支えているのは、彼がJPOPを歌っていた記憶だ。
その記憶は、完全に7年以上前の20代前半の彼の歌声と姿が占めている。
よく、「今が旬の芸能人」と言うキャッチフレーズが使われるが、私は、芸能人には、賞味期限があると思っている。
賞味期限が切れたものは、どんなにいい素材であっても、どんなに素晴らしいものであっても、旬のものには叶わない。
そして、多くの人は手に取らない。
それから言えば、芸能人は、常に自分が旬であり続けられるように、新しい姿、変化した姿を見せ続けて、新鮮味を保つことが必要になる。
よく彼が使う言葉の中に、「新しい姿をお見せしたい」と言う言葉があるが、それが芸能人としては正しいあり方だろう。
常に芸能人は、ファンから飽きられないようにしていなければならないのだ。
そして、ファン層は、リピーターと新規ファンとが常に新陳代謝している構造が健全だと言える。新陳代謝がなければ、その芸能人の賞味期間は終わってしまうのだ。
入隊というものを控えて、彼は日活を再開する機会を完全に失っていた。
20代の前半に日活を打ち切られた彼は、後半になれば、いつ、召集がかかるかわからない状況になり、自分の人生計画を自分で立てられない状況にあったと言える。
また、彼の中では、一刻も早く行って帰ってきたいという思いがあったのも確かだろう。
20代後半の早い時期なら、戻ってきても20代で、芸能生活を再開させることができる。
しかし、遅くなればなるほど、再開年齢が高くなるのだ。
これは、恐怖にも近い心理だったかもしれない。
10代の若いアイドルや俳優が数多くデビューしていく中で、30代の復帰と言えば、すっかりベテランの層になる。
20代にしてきた仕事と同じものが来るとは考えられないと予想したかもしれない。
とにかく、一刻も早く入隊したい彼に対して、Cjesが取った戦略は、徹底的に入隊を遅らせる、ということだった。
一度は、入隊前に多くの芸能人が取る方法。
ドラマに出て、自分の姿を多くの人に記憶してもらってから、入隊する、という提案によって彼を説得したかもしれない。
彼は、ドラマ「トライアングル」に出演した。
その作品を最後に入隊を希望していた彼を、今度は、彼の最も泣き所であるJYJ歌手活動という飴で、彼を説得したと感じる。
「自分一人なら、自分の計画で入隊出来るが、グループではそうもいかない」と彼に言わせ、入隊を遅らせるほど、実に3年ぶりの本格的活動をさせたのだ。
そうやって、彼の入隊は、30ギリギリのリミットいっぱい遅らされることになった。
Cjesは、30を超えても彼に入隊を伸ばさせる為の画策をしていたようにも思える。
ドラマ「スパイ」撮影中の入隊宣言は、彼自身の強い意思によって決められたものだと推察出来る。
そうやってやっとの思いで入隊した彼は、2年間で、大きく変わった。
ただ受動的に受け入れていた仕事を完全に自分の手に取り戻した。
彼自身の意思によって、仕事の是非の選択を決定していると言える。
除隊したことによって、もう二度とキャリアが中断されることはない。
長いスパンで物事を考える事が出来る。
除隊後の彼を見ていて、一番感じたのは、日本という市場に対する考え方だ。
芸能人として戻れる道筋が見えないのなら、とにかくどんな形でもいいから、日本という市場を自分の側に引き寄せようとする積極的な行動が見て取れた。
それが、kaveの存在だったと言える。
自分のファン層が、どこに一番たくさんいるのか、どの市場に活動拠点を持つことが、自分という芸能人にとって、有利なのか、ということは、「ただ日本活動がしたい」という気持ちだけでなく、積極的に戦略的に日本に帰る方法を見つける貪欲さを彼にもたらした。
どんなに潰されても、邪魔されても、何とか日本に活動の拠点を作ることに奔走していたと予想出来る。
7年間、日活のなかった彼が、最後にチャンスがあるとしたら、除隊後の今年しかなかったのだ。
「除隊後も今までと同じような活動が続くのかと思っていたけど……」とインタビューで答えたように、もし、彼が除隊後の今年も、入隊前と同じように日本での活動は、来日外タレと同じ。韓国語の歌しか歌わない、という状況が続いていたとしたら、日本のファンダムは到底、もたなかっただろう。
7年間、日本のファンダムを支えていたのは、「彼がいつか必ず日本に戻ってくる」という思いだけだ。
そして、それは、韓国の青年として義務を果たした除隊後。
除隊後であれば、日本に戻れるのではないのか、という不確定な希望的観測だけだった。
そんなファンダムは、ある意味、疲れきっている。
新陳代謝のほとんどない状況は、ファンダムを疲弊させ、閉塞感を生み、やがて諦めの感情が支配するのは、時間の問題だった。
もし、彼の活動が入隊前と同じように外タレとしての来日コンサートしかなく、そのままメンバー全員の除隊を迎えていたなら、また、再び、グループ活動が再開するという恐れとそれが現実になったときの落胆は、多くのファンが彼に失望を抱き、彼から離れる懸念さえあったと言えるだろう。
除隊後、日本ツアーで、「もっと会おう。もっと会える。必ず会えるから」
そう泣きながら話した彼は、数ヶ月後には、「今年の後半には、韓国での仕事が多くなり、日本に行けそうにもない」と言わされる陰で、Cjesもファンも欺き、着々と日本に活動の拠点を移す準備をしていたと言える。
彼には、もう日本のファンダムが限界だということは、十分にわかりきっていただろう。
二言目には、「長生きして」「元気でみんなで長生きしよう」と言う発言の裏に、自分を支えるファンの年齢層がどこにあるのかも十分承知していたはずだ。
デビューして、13年。
20代のファンは、30代になり、30代のファンは40代になる。
このまま新陳代謝がなく、新しいファンを獲得出来なければ、やがて、日本のファン社会を失ってしまうということも十分わかっていただろう。
そのギリギリのところで決めたドリフェス出演と日本再始動だった。
彼は戻る。
日本の音楽界に。
そして、芸能人の賞味期限と異なり、歌手の賞味期限は、歌を歌い続ける限り、伸び続けることが出来る。
新しいジャンル、新しい曲、新しい音楽が、歌手に命を吹き込む。
日本の歌手が長く活動し続けるのは、常に熱心に新しい音楽を提示し続けるからにほかならない。
音楽は、永遠に歌手を輝かせる。
「JPOPを歌うことになるだろうと思う」
そう言う彼の新しい音楽と姿は、7年前に私が待ち望んだ姿そのものだ。
やっとここまで来た。
来年は忙しい一年になるだろう。
※
彼が、ドリフェスに出演するのが発表された時点で、エイベックスとの確執は解消されたと考えられる。
そうでなければ、到底、エイベックス所属の歌手と共演は叶わない。
エイベックスの松浦氏は、最後まで彼を説得し続けた人物だ。
それと同様、SMのイ・スマン氏も彼に残留を説得した。
最初から、エイベックスもSMも彼との確執はなかった。
彼が取り込まれてしまうのを、最後まで説得したのは、それだけ、ジェジュンという人間の芸能人としての商品価値も歌手としての実力も評価していたことの証だろう。
彼がソウルファンミのカラオケのコーナーで過去の曲を歌ったり踊ったりしたことを、5人の復活に結びつける考えを持つファンがいるが、5人待望論は、この7年間、常に存在し、亡霊のように彼らにつきまとってきた。
業界の戦略として、1000歩譲って、それが実現したとしても、過去の5人のハーモニーもパフォーマンスも戻らない。
声帯の年齢的な円熟度は、かつての透き通るようなハーモニーをもたらさないし、30代の肉体は、若い頃の軽やかな動きには戻らない。
もし、5人として復活するのであれば、それは、過去を越える新しい形を作り出さない限り、ソロや二人の活動を知ってしまったファンの心を満足させられないだろう。
単にかつての仲良しな姿だけを追い求めるには、彼らは、それぞれの道を歩み始めた大人になりすぎている。
そして、多くの歌手達が経験する、自分達の亡霊に彼ら自身が悩まされるだけだ。
一時の感傷に浸れるほど、彼らは、過去の自分達の姿にとらわれないだろう。
7年前、ジェジュンが日活を辞めて、韓国へ戻ったあと、どれほど、後悔したかわからない。
かけちがえたボタンは、どんなにしても元には戻らない。
マンホールの主人公のように時間を旅行出来るとしたら、どこに戻りたいかの質問に、
「それほど昔に戻りたいとは思わない。せいぜい1、2年。でもそれだと軍隊に戻ってしまう」
と笑った彼。
過去のダンスや歌を披露したあと、
「ここでのことは、皆さんの心の中に留めておいて下さいね」
と話した彼が、過去に戻るとは思えない。
彼は、この7年。
常に前だけを見て生きてきた。
そうしなければ、生きて来られなかったからだ。
そんな彼と、一緒に未来を見続けたい。
ソロ歌手ジェジュンの成功を祈っている。