このところ、年末に次々放送される音楽番組を見ながら、そこにジェジュンがいないことが今の彼のポジションを端的に現していると思った。
今年はコロナが酷かった。
ライブが出来ない、音楽番組も組めない。
こんな状況を誰が想像しただろう。
今から思えば、彼が4月に「Love CoversII」を収録していたのは、奇跡に近いタイミングだったと思う。
この収録がなければ、彼はこの一年、全く何の活動も出来なかったに等しい。
4月1日のコロナ失言のせいで、3月に出した新曲「BRAVA BRAVA BRAVA/Ray of Light」は殆ど話題にもならなかった。この曲は、どちらも良い曲だったので、順調に行けば、ある程度のヒットを狙えたものだったと思う。
そういう意味で殆ど歌われないままになったことは非常に残念だ。
「Love CoversII」のアルバムがなければ、今年度の日本活動はほぼ何もなかったに等しくなる。
コロナの影響さえなければ、アルバムのプロモーション活動で、夏の音楽の特番や、「The Covers」の出演は当然あっただろうから、このアルバムも殆どブレイクすることがないまま、新しい年を迎えることになる。
業界の動きは早いので、半年以上前に発売されたものは、既に過去のものであり、来年に向けては新しいものを準備しないといけない。
こうやって、今年、彼が発売したものは、ほぼほぼ業界的にお蔵入りになるかもしれない。
「Love CoversII」は非常に出来が良いアルバムだっただけに、彼本人が日本にいれば、間違いなく、昨年同様、レコ大の候補曲にノミネートされていたはずで、本人がいなければ、露出の機会がないのだから、どんなにいいものを出してもファン以外の人が耳にする機会は皆無に近くなる。
そして、本人がいなくても誰もが覚えているほどの存在には、まだ彼はなれていない。
これが日本での彼のポジションの現実だ。
コロナの影響は、未だに音楽業界の動きや活動に大きくダメージを与えている。
来年の5月、6月にコンサートツアーが発表されているが、実際に行えるかどうかは非常に不透明だ。
ジェジュンの場合、コロナの状況と共に、本人が長期滞在できるかどうかという根本的問題がある。
今回のツアー延期のように、彼自身の滞在に関する問題よりも、韓国のスタッフ、即ち、JB’sのスタッフの在留資格も大きな要因になる。それらの問題をクリアできなければ、コンサートの実現が現実味を帯びてこない。
コロナの感染をコントロール出来なければ、現在のように2週間の隔離期間は撤廃にならず、そういう期間があるということを念頭に入れてスケジュールを組む必要がある。
彼の考えるように、韓国と日本の二国間を行ったり来たりする従来の活動の仕方が、継続できるかどうかは、非常に不透明だ。だからこそ、彼がどのような活動を目指すのか、拠点をどこに置くのかは、今後、日本で歌手活動が継続できるかどうかの大きな要因になる。
根本的に戦略を見直す時期なのかもしれない。
彼は日本活動が4年目に入るが、新規ファンの開拓は出来ていないに等しい。また、既存のファンの減少も進んでいる。
そういう中で、歌手として日本で生き残るには、既存のイメージからの脱却、また転換、さらには、他のミュージシャンとのコラボなど、積極的に音楽活動をしていかなければ、このまま先細りするのは避けられない。
アーティストが長く活動を続けるには、コアなファン層と新規のファン層の二種類のファンを持たなくてはならない。
そういう意味で、氷川きよしのジャンル転換は大成功だと言える。
そこには、40歳を過ぎてなお、新しいジャンルに移れるだけの基礎体力が不可欠だ。
どんなにイメージを転換したくても、それに対応するだけの肉体的体力と、声帯を持ち合わせていなければ、それは難しい。
氷川きよしのファン層は明らかに変化している。
既存の演歌から移ってきたコアなファン層と、この1年で獲得した新しい若い世代のファン層だ。
彼のファン層は年齢が高く、このまま行けば10年後には、大幅な減少が避けられなかったかもしれない。
このタイミングでジャンルを転換し、新しいイメージと共に新しい音楽に挑戦してきたのは、たとえ、それが彼の本心であり、精神的なリミットだったとしても、結果的に歌手生命を伸ばしたことに繋がるのである。
日本の業界は非常にシビアである。
コアなファン層だけでは、評価が取れない。
音楽業界全体からの認知度を考えると、彼は、「韓国人の歌手」であって、それ以上の評価を得られていないのが現実である。
彼が言う、誰もが知っている歌手になる為には、彼の名前の前に「韓国人の」或いは「韓国の」という冠がつかない状態にならなければならない。
ジェジュン、と言えば、歌手。
そういう誰もが知る状態にならなければ、彼の日本における認知度は限定的だ。
そこは、どんなに事務所が売り込んでも、一般人には浸透しない。
一般人の誰もが知る歌手になるには、日本で常時活動することが必要になる。
今の彼のファン層は、ハッキリ言って、東方神起時代の遺産が主たるものであり(これは他の4人のメンバーにも全く同じことが言える)、彼がソロ活動をし始めたこの2年でファンになった新規層は少ないのが現実だ。
多くの日本の歌手とその事務所の戦略、プロモーション活動などを見て思うのは、どの歌手も必死だということ。
氷川きよしのように20年以上のキャリアを持ち、確固たるコアなファン層を持つ歌手ですら、方向転換してくるのは、聴衆というものは、進化がなければ飽きる、という原則があるからだ。
同じイメージで売り続けられるのは、松田聖子のように稀な存在であって、彼女ですら、ここ数年はジャズライブなどを行い、イメージの転換をはかって来ている。
ジェジュンの場合、TVを意識しない、メディアを意識しないで、ライブ活動だけでファンを集めていくほどの音楽活動でもなければ、メディアに出なくても、自分の音楽さえ追求できればいいのだ、というアーティストとしての強さや開き直りも持たない。
彼にとっては、メディア露出は必須であり、メディア活動がなければ、ライブ一本で成り立つだけの強さも持ち合わせていない。
そうなると、彼はそろそろ、東方神起、韓国のスターというイメージを脱却する必要がある。
本気で日本でアーティストとして生き残っていく気持ちなら、かつてのイメージを壊す時期に来ていると私は思う。
かつて彼は、「ジャズも歌ってみたい」と話したことがある。
そういう気持ちを持っているなら、積極的に新しい音楽に挑戦するべきだ。
彼から感じるのは、以前も書いたように「音楽への渇望」がないということ。
三度のメシよりも「歌が好き」「音楽がしたい」
そういう飢餓感を感じない。
私が知っている歌手達は、誰もがそういう飢餓感を持っている。
これが日本と韓国の違いだと言われるなら、日本で活動する限り、そういうものを持ち合わせていないと生き残れない。
以前のように、「歌えない」「歌わせてもらえない」という環境では無くなった。
歌う場所も機会も、彼が望めば与えられるのである。
そんな中で、音楽の渇望を感じさせるのは、音楽に真摯に全身全霊を傾けて取り組んでいる歌手だけである。
8年の日本活動が出来ない期間は、イコール歌手活動が出来ない期間だった。
日本活動を再開し3年。
これは歌手活動を再開した3年であり、この間に韓国でドラマに出演することもなく、歌手活動以外のものを一切しなかった期間でもある。
韓流スターとしてありがちな、歌も歌う、俳優活動もする、という活動の仕方と一線を引き、韓国でも歌手であることを貫いている。
そういう彼が、日本でブレイクするには、イメージの大幅な転換が必要な時期に来ているように思える。
しかし、彼が歌手としての成功にどういうイメージを持っているかはわからない。
現状のように、日本でCDを出し、ツアーを組み、そこそこ売れればいい、と考えているなら、このままの路線が大きく変わることもなければ、彼がビッグヒットを持つこともないだろう。
昨夜のレコ大の優秀作品賞の歌手達を見ながら、彼の立つ位置との大きな乖離を感じた。
彼があの場所に立つ日は来るだろうか。
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