韓国で芸能活動をする人間にとって、海外での活動は必須のものだと思う。
韓国の市場は狭い。その上、国策となった韓流は、毎年、山のようにアイドルを輩出し、芸能界自体が膨満状態にある。その中で生き残っていくためには、海外市場への進出は欠かせない。
アジア全域だけでなく、欧米、南米なども視野に入れたグローバルな活動を考えていかなければ、とても芸能人として生きていけない状況だ。
海外市場の中でも身近なアジア地域への進出は、最もポピュラーな場所として、ブームになる前から韓国の芸能人にとっては、馴染みの深い場所だったと言える。
その中で、本格的に日本という国への進出を図ったのは、5人の東方神起が最初だったと言っても過言ではないだろう。
なぜなら、それまでの芸能人やグループの日本への進出は、韓国からの来日公演という形や、ドラマ関連のファンミという突発的なイベントでしか過ぎず、本格的に腰を落ち着けて日本での活動に取り組むということはしていなかったからだ。
しかし、2004年に韓国でデビューした東方神起は、その名の通り、東方の地に旋風を巻き起こすために、日本という市場への本格的な進出を避けて通ることは出来なかった。
それまで日本の芸能事務所と繋がりを持たなかったSMは、韓国から本格的に日本市場へ参入するために、日本の事務所とレンタル契約という形で、彼らを日本事務所に貸し出した。
それは、日本市場で彼らを売り出すための情報も方法も全く持っていなかったSMにとって、レンタル契約することで、日本事務所に実質上の丸投げをしたのに等しかった。
そうやって、5人の東方神起は、avexという日本事務所に所属し、日本市場に進出することになった。
しかし、当初は、鳴かず飛ばずだった。
冬ソナで韓流ブームが起きかけていたとはいえ、まだまだ日本社会にとって、韓国の芸能も音楽も馴染みのない存在でしかなかったからだ。
一部の韓流ドラマのファンが、韓国のトップアイドルグループという触れ込みの東方神起に興味を示したに過ぎないほど、アジア全域を席巻したと言われていた東方神起の日本でのデビューはほろ苦いものになった。
韓国流のファッション、ビジュアル。
韓国の流儀をそのまま持ち込んでも、この日本では全く通用しないのだということを事務所も彼ら自身も嫌というほど思い知ることになったのだ。
その為、avexは方針を転換した。
彼らを日本流のファッション、ビジュアルに作り替え、JPOPの新人グループとして売り出した。
即ち、日本人好みのグループに作り替えようとしたのだ。
日本語を話し、日本に住み、日本の番組に出演する。
韓国のグループとしてではなく、あくまでも日本のグループとして活動させる路線に転向した。
その後の活躍は、誰もが認める通りだ。
紅白歌合戦に二度出場し、オリコンチャートの1位を取るグループに成長した。それは、紛れもなく日本のグループ「東方神起(とうほうしんき)」であり、韓国のグループ「トンバンシンギ」とは一線を画すものだった。
それは、彼らが自ら望んだものではなく、事務所の方針によって、日本という国に連れてこられたという感覚に近かったと思う。
そうやって始まった日本活動に対しての思いは、メンバー個々によって、大きく感じ方が異なったはずだ。
日本活動を打ち切られて7年。
ジェジュンは、ずっと日本活動にこだわり続けてきた。
韓国に戻り、韓国での活動を中心に、アジア全域で活動を継続し、日本もアジアの中の一つと考える、としたCjesの方針とは大きく異なり、彼は、以前のような日本活動を希望した。
即ち、日本の事務所と契約をして、活動するというものである。
この7年、来日公演という形で、年に最低でも一度は、日本で公演を行なってきた。
その活動スタイルは、韓国の芸能人にはポピュラーな形だ。
しかし、彼はそれでは決して満足しなかった。
あくまでもかつてのように、正式な形での日本活動。即ち、日本の芸能界に戻る、ということにこだわり続けた。
ケイダッシュと正式な契約にこぎつけ、彼の望む形での日本活動が始まっている。
8年ぶりに戻った日本の芸能界。
それは、彼が自らの意思で選んだ場所だ。
事務所に与えられたのでもなければ、誰かに強制されたのでもない。
彼自身が、日本という国で芸能人として活動する、と決めた場所なのだ。
韓国芸能人として、韓国を中心に活動をし、年に数回、来日公演を行う、という韓国流のスタイルを彼は選ばなかった。
韓国人として、その方法を取ることも出来たはずだった。
それにも拘らず、彼は、日本という場所を選んだ。
今回、ソロで日本に戻ると決めたのは、誰に言われたものでもない。
彼自身の意思によるものだ。
彼自身が選び、勝ち取ったもの。
そんな彼の日本での活動は、彼自身が考え、行動していくものになるに違いない。
アルバムの発売に時間がかかっているのも、彼自身が、「時間をかけていい曲を集めている」と言うように、彼主導で行われるのだろう。
彼のペースで、彼の考えで、日本活動は進めればいい。
彼自身が、この場所を選んだように、活動の形態も彼自身が決めていくだろう。
それが、彼自身が選んだ日本活動ということなのだから。
事務所の言いなりになって活動する。
事務所の意向で、活動の内容や形態が決まる。
多くの芸能人は、そうやって活動する。
しかし、彼は、活動の内容も、自身のスタンスも、彼自身が決めるだろう。
なぜなら、彼自身が選び、勝ち取った場所だからだ。
彼が今後、どのような日本活動を展開していくのか。
彼の意思が反映された日本活動を楽しみにしている。
ケイダッシュという大きな後ろ盾を力に、日本の芸能界の中で、突き抜ける存在になって欲しい。
韓国だ、日本だ、という狭い価値観は消え去り、ただ、「ジェジュン」という芸能人だけが存在する。
彼なら、きっとそんな存在になれる。
自らの意思で、日本での活動を選んだのだ。
日本という社会が今度は、彼の気持ちに応える番だ。
彼の前に、そんな未来が用意されていると信じている。
kuko
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※
ジェジュンは、今回の日本活動に於いて、グループ名を一切使用していない。
現在のグループ名も過去のグループ名もその一切を出していない。
あくまでも日本に於いては、ソロ歌手ジェジュン、という名称だ。
そして、NHKラジオの出演を決めるにあたって、今までの「韓国人アーティスト」という肩書きから「韓国出身」という名称に変更されている。
「韓国人アーティスト」という名称と、「韓国出身」という名称は、ほんの言葉の違いだが、その意味は大きく異なる。
「韓国人アーティスト」と言えば、あくまでも韓国を活動の拠点としている名称に対し、「韓国出身」という名称は、韓国の出身だが、日本を活動の主軸にしている、という印象になる。
この僅かな言葉の違いが、彼の今後の日本活動を大きく意図するものになるだろうと感じる。
彼は、リバコンで言った。
「5年先、10年先の僕達の姿が楽しみです」
彼の日本活動は、5年先も10年先も、ずっと続くのだ。
腰かけ程度の日本活動ではなく、自分を韓国出身と名乗る彼の気持ちの変化は、そのまま、今後の日本活動の主軸になっていくに違いない。
長く、長く、彼が日本で活動すること。
彼が日本の芸能界にいることが、当たり前になればいい。
日本芸能界が、そんな場所になればいいと思っている。
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