除隊から10日が経った。
毎日、アップされたJYJline。
頻繁に更新されるInsta.
そのどの場所にも私の馴染んだジェジュンの姿は見えない。
除隊してきた彼は、まるで過去の自分の姿を払拭するかのような変貌ぶりに見えるのは私だけなのだろうか。

7年前、彼のファンになったとき、彼を初めてTHANKSのコンサートで見た。
大阪の初日。彼は、目に涙をいっぱい溜めていた。
あの頃、分裂直後の批判の嵐の真っただ中にいた。
数々のブログやネットで彼は叩かれるだけ叩かれていた。
何が真実で何が嘘なのか。ファン歴の浅い私には何もわからなかった。
コンサートで実際に彼を見れば、何かがわかるかもしれない、とも思った。
あのときのことは今でもハッキリと覚えている。

彼の姿を見て直感したのだ。

彼を信じられる。

何の根拠も何の情報も持たない私が、あのときに彼から感じた直感のようなものだけを頼りにこの7年、ファンを続けてきた。
その間、自分が感じた彼への直感を疑ったことは一度もない。
韓国に戻り、一度も来日がなく、歌手活動もなかった2012年ですら、彼への気持ちを疑ったことはない。

 

しかし、今、私は自分の気持ちがわからない。
そう、わからないのだ。

 

軍隊で優秀な成績をあげ、芸能人として、また韓国国民として認められた彼は、きっと今までの人生の中で、初めてと言っていいほど、韓国社会に迎え入れらただろう。
どこへ行っても、誰と出会っても、賛辞の嵐のはずだ。

除隊時には、多くのマスメディアと2000人を超えるファンに迎えられ、正々堂々と胸を張って挨拶をした。
1年9ヶ月、誰よりも熱心に軍務に励み、誰よりも真摯に物事に取り組み、韓流スターでありながら、誰よりも謙虚に誰に対しても分け隔てなく接した結果、彼は、今までの人生の中で、初めてと言っていいほど、韓国社会の中で高い評価を受けたはずだ。
それは、彼に大きな自信を与えた。

東方神起としてトップアイドルに上り詰め、不動のセンターの位置を獲得したにも関わらず、所属事務所を訴え、芸能界からも韓国社会からも批判の目に晒された過去から、やっと抜け出したのだ。

今、彼は、自分の生きてきた道と自分のやり方に大きな自信と成果を感じているはずに違いない。
そして、それは、彼の日本活動というものに対する考え方を大きく転換させるきっかけになりつつあるように思う。

彼が日本活動にこだわり続けた意味は、ただ一つだ。

「かつてのような日本活動を取り戻したい」

それは、多くの韓流スターが韓国事務所に籍を置いたままで、韓流スターとして日本で来日コンサートやファンミを行うのに対して、日本事務所と正式に契約し、あくまでも日本の芸能界の一員として、日本の芸能活動を行う、というものであったはずだ。

Cjesとの長年に渡る確執は、まさにその一点に尽きると言っていいほどだったはずだ。

あくまでも日本での正式な活動を望む彼に対して、Cjesやメンバーはそうではなかった。
韓国人として、韓流ビジネスによる日本での活動を遂行した。
それは、あくまでも韓国人が稼ぐお金は、韓国人が回収する、という典型的な考え方に思えた。

東方神起が分裂し、JYJの3人だけとエイベックスが専属契約を結んだ時、Cjesのブレーンとして、JYJにずっと張り付いてきて、分裂直後から、日本各地でファンを対象にオフ会を開いていたS氏の言葉は、韓国人として象徴的だった。

「だって東方神起は、韓国のグループなのに、エイベックスはそれを盗もうとしたんですよ。日本は彼らを盗ろうとしたんです」

私は彼のこの言葉を忘れることはない。

この韓国人としての典型的な日本への考え方と、私が感じてきたジェジュンの日本への考え方に大きな隔たりを感じ続けてきたからこそ、私は彼のファンであり続けたのだ。
それは、彼が、この7年間、彼の言動の中に日本への思いも、日本活動に対する考え方も、一度もぶれたことがないと感じ続けたからでもあった。

 

彼が、twitterを始めたのは、2010年だったように思う。もしかしたら、それ以前にしていたのかもしれないが、私の記憶に残るのは、2010年の秋以降だ。
パク・ヨンハ氏が亡くなり、「眠れない」と呟いた。
「頑張って生きていくと兄貴と約束した」と言った。

Twitterは、彼にとっては、離れてしまった日本ファンの気持ちを知る絶好のツールだったはずだ。それと同時に、日本ファンにとっても、彼の存在を実感出来る唯一の場所にほかならなかった。

自国に彼がいる韓国ファンは、どんなに彼が放送媒体に出れなくても、どんなに歌が歌えなくても、彼の存在そのものを感じれないという感覚はないだろう。

それは、日本においても、放送媒体に出ないグループや歌手は多く、活動自体がコンサート中心のものになっている歌手は多い。だからといって、寂しいとか、存在がない、という感覚は持ち合わせないのと同じように、彼がどんなに放送媒体に出れなくても、存在自体を感じられないほどの寂しさを味わうことはないはずだ。
軍隊に入隊すれば、自分の国を守ってくれる兵士の一人になった彼の存在を平和な日常生活の中に感じていたかもしれない。

けれども日本ファンは違う。
日本ファンは、彼の存在を確かめる為には、自分でPCやスマホのネットを開き、アクセスして彼を探し回らなければならない。
自分達の手で彼を捜さなければ、決して彼の存在を確かめることは出来ないのだ。
彼がtwitterに何日も現れなければ、ネットの中をどんなに探し回っても、過去の彼に会うことしか出来ない。
それこそ、彼が芸能人を辞めて、一般人に戻ってしまえば、彼の存在すら感じなくなるかもしれない。

日本にとって、彼は、そんな危うい世界に存在している芸能人でしかない。

韓国人として生まれ育ち、韓国の食べ物を食し、韓国の風習の中で価値観を身につけ、韓国社会の中で生きてきた彼に、日本の影を感じることの方が不思議だと言える。
どんなに日本語を流暢に話し、どんなに親日的であっても、それはあくまでも韓国人で日本を好きだ、という感覚しか感じないのが当たり前なのだ。

しかし、彼は違った。
何事にも謙虚で、誠実に取り組む姿は、まるで日本人のようだった。真面目にコツコツと努力して、苦手なものも克服する姿は、まるで日本人の特質そのものだった。
日本食を好み、日本の風習を好み、理解しようとする姿に、益々日本人の特質を感じるほどだった。
日本語の歌を歌えば、まるで日本人そのものだった。

それは、単に日本が好き、という感情を越えて、もっと強い感情のように思えた。
どんなに日本での活動が出来なくても、彼は日本語を手放そうとはしなかった。さらにここ数年は、日本にいるときよりも日本語が上達していた。
また、彼の日本への愛着は、日本語だけでなく、日本の物の考え方や、風習にまで及んだ。
そんな彼からは、日本から遠ざかる年数が増えれば増えるほど、益々、彼の中に日本を感じることが多くなった。

彼は来日するたびに泣いた。
東方神起として活動していた頃には、どんなにメンバーが泣いても決してステージで涙を見せなかった彼が、韓国へ戻った途端、日本で泣いてばかりいるようになった。
韓国では決して涙を見せないのに、日本に来るたびに号泣した。
そして、素直に自分の感情を話し、日本への思慕に溢れた言葉を吐露するようになった。

「いつまでも待っていて」

「この場所を離れたくない」

搾り出すように泣きながら語ることばの一つ一つの欠片に、彼の日本への思いや日本活動への決して諦めたくない感情が感じられた。

だから、この7年、彼の側を離れなかった。
どんなに彼が批判されても、彼の日本への思いを疑ったことは一度もなかった。
それは、私の中の確信だった。

入隊中も彼の日本への思いは変わることがないように見えた。
韓国の軍人でありながら、何度も何度も日本への思慕の感情を見せ、あちこちの店に日本語でメッセージを残した。

「会いたい、日本のfan」

「ありがとー」

書き残したメッセージは、簡単な言葉でも、そこに込められた彼の思いは、計り知れないほど大きく重かった。
だから、彼を信じて待っていた。

独島の歌を歌わず、反日を感じさせる軍事行事には参加しない姿勢を取り続けた彼に、変わりない日本への思いを感じていた。
彼の日本への思い、日本活動への思いは変わることはない、と確信していた。

でも違った。

除隊してきた彼を見て、戸惑った。
彼の言動からは、入隊中の彼を感じることは出来なかったからだ。
今まで7年で、感じたことのない彼の姿だった。

彼は軍人としても芸能人としても大きな自信と成果と共に、韓国社会に改めて受け入れられたことを感じた。
軍隊に行って、彼が変わるとは思っていたが、その姿は、私の想像を超えるものだった。

除隊後の彼に不安を感じた日本ファンは多かったと思う。
不安を感じた人と、感じなかった人。
感じなかった人は、彼は除隊直後であり、軍隊という特殊な場所に二年近くもいたのだから、違って見えるのは当たり前だ。
でも彼の本質が変わったわけではないし、日本への思いも日本活動への思いも変わっていないはずだ、と言う。
もう少し、長い目で見て欲しい。彼が元の彼に戻るのを待つべきだ、と言う。

確かに彼は、除隊直後の環境の変化の中で、軍人から、一気に芸能人へ戻ろうとしている。
今までにないほどの高い評価を受け、Cjesは、手の平を返したように彼を丁重に扱う。
日本ファンが彼の広報をきちんとしてこなかったことに対する不信感を払拭するかのように、怒涛の広報活動だ。

さらに復帰直後の仕事は、ファンが切望したソロ歌手活動であり、本国よりも熱心に日本でのコンサートの回数が組まれている。
そんな中、彼は自分の思い通りに仕事をしているように見える。

 

今、Cjesと彼の力関係は完全に逆転し、彼の思い通りの仕事が出来る環境のようにも見える。
韓国社会に立派な一人前の韓国青年として認められた彼に対して、Cjesは、態度を豹変させている。
彼にとって、今、何も怖いものはないのかもしれない。
きっと韓国のみならず、日本でのコンサートも大成功すると信じて疑っていないだろう。
そんな自信に満ち溢れた彼の姿からは、私が慣れ親しんだジェジュンの姿は見えない。

いつもファンに寄り添って、日本から心を離したことがなかった。
いつも日本ファンのことを思って、本国ファンよりも深い愛情を感じるほどだった。

謙虚に物事を考え、慎重に言葉を選び、歌手活動が思うように出来ない中で培った彼の哲学は、入隊が近づくにつれて人間的深みを増した。

「お金や物質は人を幸せにはしてくれない。人を幸せにしてくれるのは人だけ」

「人が大事だから、僕はこれまで以上にファンの方も大切にしたい」

そう言って私物をどんどん手放して入隊した彼。

これらの言葉は、日本ファンにとって、入隊前の彼からの最後のメッセージとも言えるものだったと思う。

そんな彼の姿の記憶からは、今の彼は余りにも遠い。

彼は、かつて経験したことのないほど、韓国社会で認められ、事務所に丁重に扱われ、自分を見失っているのかもしれない。
それとも事務所とのやり取りの中で、力関係を完全に逆転させるだけの自信を持ったのかもしれない。

自分のやり方で、日本活動も手に入ると考えているのかもしれない。

かつて、彼の考える日本活動は、日本ファンが望む活動と同じ姿をしていた。

今、彼の考える活動は、同じ姿をしているのだろうか。

どんな時も彼の中にある日本への思いも日本活動への思いも信じてきた。

どんなに彼が批判されても、彼の言動を肯定し、彼の選択をそのまま自分の選択としてきた。
彼の決断は、私の決断だったからだ。

でも今、私は、自分の気持ちがわからない。
この7年、信じ続けた彼の根幹の部分は、変わっていないのか。

何枚も上げられる日本を連想させる写真や、日本語のことば。
実際に彼が話す日本語を聞いても、私はそこにかつての彼の姿を重ねることができないでいる。

どんなにInsta.に日本語を書き込まれても、かつての彼と同じだと確信出来ないでいる。

私にはわからないのだ。

この7年、初めて、彼を見失った。

彼は、私の知らない人になったのかもしれない。

 

※しばらくブログを書くのをやめようと思っていました。
この7年、いつも私は、この場所に、正直に自分の気持ちを書いてきました。
けれども除隊後に感じる彼への違和感を書くことが出来ませんでした。書けば、少なからず読者の方に影響を与えると感じたからです。
一度、感じた不安は、日を追うごとに大きくなり、書けないと思うとどこかに吐露したくなりました。思わず呟いたツイに、多くの方からリプを貰いました。ブログにメッセージも頂きました。自分のことばの影響を感じて呟くことも出来なくなりました。


ある人に言われました。
「あなたの気持ちに正直に生きておられたほうが、あなたらしいと思います」と。
それで今の自分の気持ちを書くことにしました。


私は、わからないのです。
自分の気持ちも、彼の気持ちも。
この7年で、初めてわからなくなりました。
彼の日本への気持ちは変わらないと信じていました。
でも今、私は確信が持てません。

今の彼の姿は、入隊中に感じていた彼の姿とは余りにも違う。
彼の本心がどこにあるのか、何も感じられなくなりました。
自分の名前をバラバラにしてプレートを作り、形見のようにファンに残していった彼の心からは、今の姿は余りにも遠く感じるものです。

この記事を読んでくださった方には、かえって不安を与えることになるかもしれません。それでも今、自分の気持ちを正直に書いておこうと思いました。

自分の気持ちは、2月、彼の歌を聞いて決めようと思っています。
彼の本質が変わったのか、変わっていないのか。

歌を聞けばわかる。

 

歌には、歌い手の心がそのまま正直に映し出されます。
彼の日本活動への思いは、どんなに日本語の歌を歌い、日本語を話し、かつてと同じようにしても、本質が変われば歌に現れます。

それは決して誤魔化せない。

彼の音楽への本質は、日本への思いと同じです。

かつての彼に感じたものと同じものを自分が感じるかどうか。
それでわかります。

私は自分の気持ちに嘘をつけません。
ブログを始めて7年、自分の感覚を信じて書いてきました。

彼の歌を自分の耳で確かめたいと思います。